「深川の鈴」(川口松太郎)

お糸、なんていい女なんだ!

「深川の鈴」(川口松太郎)
(「百年文庫005 音」)ポプラ社

「深川の鈴」(川口松太郎)
(「人情馬鹿物語」)講談社大衆文学館

作家志望の信吉は、
住み込み先の講釈師円玉から、
気立ての良いすし屋の後家の
お糸との縁談を勧められる。
お糸は二人の子持ち。
気乗りしない信吉だったが、
ここで物書きの
勉強をすればというお糸の提案で
一緒に暮らし始める…。

このお糸さんが、
素晴らしい女性なのです。
まずは容姿ですが
「仲々な容色よしで、
 江戸前に小股が切れ上がり、
 きりりと引き締った体つきに
 男を惹き寄せる魅力があった」

性格は
「言葉づかいがきびきびして、
 男女関係の話なぞも、
 きわどい事を平気でいって
 恥ずかしそうな顔もしない」

つまり気疲れしないタイプです。
そして、信吉が同居するとすぐ、
「メリンス友禅の生地を選んで、
 大型の座蒲団を作らせたり、
 蓋付きの湯呑を買って来て、
 茶盆と共に脇へ置いたり、
 こまごました品々を
 自分が選んで整えて、
 芯から喜んでいる」
のですから、
気立ての良さも絶品です。

そんなお糸に支えられる環境の中で、
信吉の文士としての
才能が開花していきます。
応募する原稿が完成した後、
二人は結ばれます。
そしてその原稿は、
念願の戯曲賞を受賞します。
さらには信吉は次作を持って、
ついに大阪での
舞台上演へとこぎ着けるのです。

めでたしめでたし。で終わりません。
作品が初上演された大阪から
信吉が帰ってくると、
そこにはお糸の姿がなく、円玉が。
「あれだけの戯曲を
 書ける腕があるのなら
 こんな所にいてはいけない。
 出世前の体で
 二人の子持ちになるのも不承知だ。
 思い切って別れろ。
 お糸はもうあきらめて、
 すし屋の職人と
 夫婦になる気持を固めた」

そうです。お糸は身を引いたのです。
惚れた男の才能をしっかり見抜き、
惚れた男の将来を考え、
自分の気持ちを押し殺すように、
きれいに身を引いたのです。
ここまで信吉の面倒を見たのです。
すし屋をたたみ、
信吉の女房になる道もあったはずです。
でも彼女は男の才能に寄りかかることを
潔しとしなかったのです。
「お糸、なんていい女なんだ!」
読み手も惚れ込んでしまいます。

お糸の見立て通り、信吉はその後、
物書きとして認められるようになり、
かつ事業家としても
名を馳せるようになります。
そしてお糸もまた婿を取り、
つつましい幸せを手に入れます。
読後、清々しい気持ちで
いっぱいになれます。
こんないい小説を見逃していたなんて。
やはり日本文学は広くて深い。

さて本書は、
「音」というテーマで編まれた
3篇の作品集です。
したがって「音」が
重要なキーワードなのですが…、
読んでのお楽しみ。

(2020.6.29)

サクママさんによる写真ACからの写真

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