謎を解かないミステリー小説なのです。
「新ハムレット」(太宰治)新潮文庫
ハムレットは
里帰りしたホレイショから、
大学で広まっている
よからぬ噂を聞く。
一つは「ハムレットの乱心」、
もう一つは「城に現れる
幽霊」についてであった。
幽霊は先王であり、
ハムレットに敵討ちを
切望しているのだという…。
犯人はお前だ、クローヂヤス。
原作「ハムレット」を読めば、
誰でも謎が解けます。
しかし、太宰が潤色した本作品、
犯行現場は謎に包まれています。
原作同様、どこをどう読んでも、
デンマーク国王殺人事件は
主人公ハムレットの叔父
クローヂヤスの犯行であることは
明らかです。
しかし、本作では、前国王の急死後、
その弟が後を継ぎ、さらには兄嫁を
そのまま王妃に据えるという
状況証拠のみしか開示されません。
心証は限りなく黒。
しかし、証拠は一切描かれないのです。
原作もそうなのですが、
犯行に使われた毒物は発見されません。
物的証拠は一切挙がらないのです。
前王の亡霊が現れ、
自分の死の真相を
語る場面もありません。
いわゆる目撃証言もないのです。
原作では、ハムレットが
旅芸人を使って劇中に犯行を再現させ、
それを観た叔父夫婦の動揺を
確認する場面があります。
本作品のクローヂヤスは
そうした心理テストにも
全く引っかかることがありません。
クローヂヤスが自らの犯行を
振り返る台詞も
すべて捨象されています。
ただし、クローヂヤスが
重臣ポローニヤスを成敗する際、
「この涙でわしの罪障が
洗われてしまうといいのだが」
という一言があります。
被疑者のかなり曖昧な
自白といえなくもない
独白があるのみです。
ハムレットやポローニヤスの追及を、
のらりくらりとかわすクローヂヤス。
オフィリヤと王妃のやりとりは
ことごとくすれ違う。
ハムレットとポローニヤスは
お互いに利用し合い、失望し合う。
ハムレットとオフィリヤでさえも
意思が疎通しない。
関係者の証言は、
お互いがお互いを疑う猜疑心に富み、
事実は一層霧に包まれます。
これだけ真相がバレバレでありながら、
最期に至っても
謎は一切解けないのです。
犯行を想起させる
状況証拠はあるものの、
犯行を裏付ける証拠は一切ない。
もし裁判が開かれれば、
疑わしきは罰せずの原則で、
クローヂヤスには
無罪判決が下されるはずです。
そうです。本作品は、
謎を解かないミステリー小説なのです。
本作品発表は1941年。
江戸川乱歩の明智小五郎が
数々の難事件の謎を
解決していたその時期に、
太宰のハムレットは
何も解かず(解けず)に
狂気の幕を閉じるのです。
(2020.7.7)
【青空文庫】
「新ハムレット」(太宰治)