「新ハムレット」(太宰治)②

単なる古典的大作品のパロディなのか?

「新ハムレット」(太宰治)新潮文庫

前回は本作品を、
無理やりデンマーク国王殺人事件の
ミステリー小説として取り上げました。
もちろん太宰は
そんなつもりはなかったでしょう。
では、本作品の立ち位置は
どこにあるのか。太宰は
「作者の勝手な、
 創造の遊戯に過ぎない」
と、
はしがきで述べています。
確かにところどころで遊んでいます。

第二節、
オフィリヤとレヤチーズの会話。
オフ「すまいとばし思うて?」
レヤ「なんだい、それあ。
   へんな言葉だ。いやになるね。」
オフ「だって坪内さまが、…」
レヤ「ああ、そうか。坪内さんも、
   東洋一の大学者だが、
   少し言葉に凝り過ぎる。」

いきなりなんなんだろうと
思いましたが、
坪内さまとは坪内逍遙のこと。
明治の時代に
ハムレットを翻訳した際、
かなり異質な日本語を
多用したことに対する揶揄なのです。
ちなみにどんなものか調べてみると…。

レヤ「必要の品々も
   積込んでしまうたれば、
   さらばぢゃ。いもうとよ、
   出船、順風の便宜のあるたび、
   居眠ってをらいで
   消息を爲やれよ。」
オフ「すまいとばし思ふて?」

レヤ「ハムレットさまの、
   あの空めいたおいとしがりはな、
   結句一時の浮氣心、
   若い氣分のざれ事、
   いはゞ春育ちの菫の花ぢゃ、
   早咲ぢゃ程に萎るゝも早い。
   美しうはれども當座の詠ぢゃ。
   香も慰みも徒の束の間、
   只それほどゝ思ふがよいぞよ。」

これでは確かにわかりません。
でも、太宰はやり過ぎでしょう。

それだけではなく、
暗殺場面の再現を試みた
旅芸人の演劇は、
ハムレット、ホレーショー、
ポローニヤス3人の
珍妙な朗読劇に変わっています。
王の忠実な僕として立ち回る
ポローニヤスは、
ここでは道化役に成り下がっています。
オフィリヤは
発狂する代わりに妊娠し、
ポローニヤスは
ハムレットに刺されるのではなく、
不敬の罪で王に成敗されます。
命を落とすのはレアチーズと王妃だけ。
悲劇は起きないものの
疑惑だけが膨らみます。

さらに、登場人物の台詞の
至るところに
太宰自身の告白が顔を出してきます。
すべての人物が、何らかの形で
太宰の思いを代弁しているのです。

では、単なる古典的大作品の
パロディなのか?
いやいや、誰もが知っている
名作のエッセンスを抽出し、
内面的描写をふんだんに盛り込んだ
心理劇としての面も見逃せません。
戯曲の形を借りた
実験的純文学の側面も
持ち合わせています。
そうです。
本作品は超一級の文学作品。
太宰中期の一大傑作なのです。

(2020.7.8)

Reinhold SilbermannによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「新ハムレット」(太宰治)

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