男性の本質ともろさを徹底的に暴き出した
「人形の家」
(イプセン/矢崎源九郎訳)新潮文庫
改心したクログスタットから
返送されてきた証書を見て、
ヘルメルは態度を軟化させ、
甘い言葉でノラに語りかける。
しかしノラは、
それまで夫から受けていた
愛情だと思っていたものが
偽物であることに気付く。
ノラは家を出る…。
前回は本作品を、
女性のノラの立場から見てみました。
今日は夫・ヘルメルに
注目したいと思います。
第三幕でのノラの発言。
「あなたがあんな男の条件に
折れて出ようなどとは
夢にも思いませんでした。
あなたはきっとあの男に向って、
世間にぶちまけるなら
ぶちまけてみろ、と
おっしゃるだろうと
固く信じていたのです。
あなたが名乗り出て、
一切を自分の身に引き受けて、
その罪人はおれだ、と
おっしゃるものと
思いこんでおりました。」
男にとっていささか
ハードルが高いのでしょうが、
妻を人間として扱い、
守り抜くというのは
そのようなことだと思うのです。
その点でヘルメルは
失敗してしまいました。
そして第一幕二幕、
さらに第三幕のヘルメルの
心の動きを追っていくと…、
ノラとは正反対になっています。
ノラは第一幕二幕では
夫の顔色をうかがいながら、
まさに「人形」のようになっています。
ヘルメルは夫として
ノラの上に君臨しているのです。
しかし第三幕では
その関係が逆転しています。
毅然として自らの意見を述べる
ノラに対して、終始受け身で
おろおろしているヘルメル。
ノラが家を出て行くのを、
なすすべもなく見送るのみ。
説得することもできず、
力ずくで止めることもできず。
あらかじめ用意されていた
「男性上位」の上で
胡座をかいていたということでしょう。
その枠組みが崩されると、
もはや何もできないのです。
これはまさに
日本でも見られたことです。
家父長制が崩れると、男が優位に立つ
理由がなくなるのと同じです。
女性の解放を謳った近代劇と
捉えられていますが、
男性の本質ともろさを徹底的に
暴き出した作品とも考えられます。
耳の痛い話ですが…。
本作品は、内容的に
重いテーマであるものの、
ぜひ中学生に薦めたいと思います。
それは戯曲としてかなり理解しやすい
作品だからです。
登場人物が必要最低限に絞られ、
人間関係を捉えやすい。
場面もヘルメルの家の中を中心に
限定されていて、情景を想像しやすい。
まさに戯曲読解の入門として
ふさわしい作品です。
中学校2年生に薦めたい一冊です。
(2020.7.20)