最後まで猫の子一匹登場しませんが…
「百万円もらった話」(町田康)
(「100万分の1回のねこ」)講談社文庫
金も仕事もなく困窮していた
ミュージシャンの「男」が、
大八と名乗る男から
「才能を売ってくれ」と
持ちかけられる。
「男」は快諾し、その代金として
100万円を受けとる。その金で
借金を返済した「男」に、
仕事の依頼が舞い込むのだが…。
佐野洋子、そして
「100万回生きたねこ」への
リスペクトが漲る
オマージュ・アンソロジーである本書
「100万分の1回のねこ」。
冒頭の江國香織
「生きる気まんまんだった女の子の話」
からはじまる、すべての作品に
「ねこ」が登場するのですが、ただ一篇、
本作品のみ最後まで
猫の子一匹登場しません。
しかし本作品が
もっとも読みごたえがあると、
私は感じています。
「才能を買う」という大八の話を、
「スポンサーになること」と
簡単に受け止めた「男」は、
100万円を受けとった後、
ギターも弾けなくなり、
音楽の価値も理解できなくなります。
一方、大八は、
短期間の間にヒット曲を連発し、
今や億万長者。
「男」は自分を捨てた美人ダンサーが
彼の妻となることを知り、
愕然とするのです。
自分の才能すべてを
売り渡したことに気付いた「男」は、
「謎の男」から告げられます。
「どんなよい畑でも耕し、種を蒔き、
水を撒かなければなにも稔らんよ。
君はそれをしないで、
こんな畑は駄目な畑だ、と信じて
二束三文で
売り払ってしまったんだよ」
「おまえは収穫がないと
嘆いていたが、
種を蒔き水をやることが
大事なのだ。
おまえの畑は以前より
もっと悪い畑になった。
それでもやるかやらぬかは
おまえ次第だ」
一読すると、「努力が大切」
「自分を信じることが大事」といった
教訓のようにも聞こえますが、
町田康がそんな単純な主題を
設定するはずがありません。
「男」が立ち直って再起を期す場面を
想像して読むと、
読み手は肩すかしを食らうしくみです。
「男」は姿を消します。
「男」が大八から受けとった百万円。
それが「ねこ」の一生分に
相当するのでしょう。
「男」には大金に思えた百万円が、
わずか一月半で1/4まで
激減することに衝撃を受けます。
「ねこ」が本当の愛を知らずに
百万回の命を
使い果たしたのと同じように、
「男」も自分の才能と引き換えた百万円を
使い切ったということでしょう。
そうであれば
「男」こそ「ねこ」そのものであり、
本作品こそがもっとも忠実に
「100万回生きたねこ」の世界を
オマージュしていると
考えることができるのです。
最後の一文にかすかに
「ねこ」の痕跡が見られます。
「ピアノの音に混ざって時折、
呻き声のようなものが聞こえるのは
気のせいでしょうか。」
(2020.7.29)