素材の珍しさが際立つ小説
「沖で待つ」(絲山秋子)文春文庫
仕事のことだったら、
そいつのために
何だってしてやる。
そう思っていた
同期の太っちゃんが死んだ。
太っちゃんとの
「約束」を果たすため、
「私」は彼の部屋に忍び込む。
その「約束」とは、
彼のパソコンのHDDを
完璧に破壊すること…。
よくわからないけれども
何となく面白い。
現代作家の小説は
そのような感じのものが
多いと思います。
なぜ「何となく面白い」のか?
何か一つ、他にはない特徴を
持っているからだと思います。
絲山秋子の本作品の特徴は、
素材の珍しさでしょうか。
素材の珍しさ・その①
「死者が語る」ところ
死者が語る小説は
いくらでもありますが、
本作品は語り口に
「死者感」がありません。
主人公・及川に話しかける、
死んだ同期の同僚・太っちゃんは、
生きているときと全く同じです。
人が死んでも
魂は生き続けるとしたなら、
むしろこの方が自然なのでしょう。
素材の珍しさ・その②
「HDD」をめぐる物語
企業サスペンスなら
HDDはいくらでも
破壊の対象として狙われます。
HDDには、他人に、いや家族に
見られたくないものまで
たくさんの情報が記録されています。
「死んだ後にそれを見られたくない」、
だから破壊して欲しい。
わかります、それは。
でも今まで誰も書かなかったのです。
「あのさ、一番やばいのは
HDDだと思うのさ」と始まって、
「先に死んだ方のパソコンのHDDを
後に残ったやつが破壊する」協定を結ぶ。
普通そこまでするか、と
思ってしまいますが、
それをごく自然に描いているところが
見事です。
そのHDDを「お弁当箱」といいながら
逝ってしまった太ちゃん。しかし、
及川はそれを「棺桶」ととらえます。
死者が語る、明るい小説の、
その一点に静かな悲しみがあります。
素材の珍しさ・その③
「同期」の関係を描いた小説
及川と太っちゃんは、
ある会社の同じ営業所に
赴任した「同期」です。
恋愛には絶対に発展しない、
同期の連帯感から成立している
男女の友情について
描写してあります。
そのせいでしょうか、
及川の告白体として
「です・ます調」の文体で
綴られているのですが、
男性に寄せる思いのようなものは
感じられません。
同級生とも違う、
大学のサークル仲間とも違う、
特別な関係が「同期」なのでしょう。
会社勤めではない私には、
「同期」という言葉の持つ
細かいニュアンスが
今一つ解りませんが、
十分に楽しめました。
※本書には短篇作品「勤労感謝の日」
「みなみのしまのぶんたろう」が
収録されています。
勤労感謝の日、36歳の「私」は
近所のおばさんの仲介で
お見合いすることになる。
断り切れなかったのだ。
現れたのは38歳の不細工な男。
一流企業の社員を鼻にかけている
その男の態度に
嫌気がさした「私」は、
お見合いを抜け出して…。
「勤労感謝の日」
「ブンガク」「ヨット」
「マツリゴト」に
とくべつなさいのうをもっている
「しいはらぶんたろう」は
でんりょくだいじんを
しっきゃくし、おきのすずめじま
げんしりょくはつでんしょの
しょちょうに
こうかくさせられる。
そのしまでかれは…。
「みなみのしまのぶんたろう」
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(2020.7.30)
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