「父と暮らせば」(井上ひさし)①

二つに分裂した美津江の心

「父と暮らせば」(井上ひさし)
 新潮文庫

「父と暮らせば」新潮文庫

広島の原爆から三年。
自分だけが生き残ったことに
負い目を感じて
生きている美津江は、
青年・木下との恋を
遠ざけようとする。
そんな娘を思いやる父・竹造は、
「恋の応援団長」として
口を出し始める。
しかし竹造はすでにこの世に…。

全編が娘・美津江と父・竹造の
二人の会話だけからなる戯曲です。
広島弁で語られるやりとりは、
終始軽妙で温かな印象を
読み手に与えますが、
内容は重く、
沈痛な響きが随所に現れます。

当然です。
舞台は原爆の三年後、
すべてを失い、
身一つで生きてきた美津江。
原爆体験の心的外傷に悩まされ、
生き残ったことへの
罪悪感に責められ、
原爆症の再発に不安をかき立てられ、
一人で生きているのです。
父・竹造は、
そんな娘を優しくいたわり、
なんとかして木下青年との恋を
成就させようと願うのです。

しかし竹造は
もはやこの世の人ではないのです。
竹造もまた原爆で命を落としたのです。
では父・竹造は幽霊なのか?
いえいえ、そうではありません。

竹造は美津江の心が生み出した
「もう一人の自分」なのです。
美津江が木下に恋をした瞬間、
美津江の心は「幸せを拒む自分」と
「幸せを受け入れようとする自分」の
二つに分裂したのです。

知らずに読み進めると、
娘と幽霊となった父親が
コミカルなやりとりをしているように
感じられるのですが、一人芝居です。
木下に土産として持たせる
じゃこ味噌をこしらえたのも
父親ではなく
「もう一人の美津江」であり、
原爆を取り入れた昔話を創作するのも
父親ではなく
「もう一人の美津江」であり、
木下に入ってもらうために
風呂を立てるのも
父親ではなく
「もう一人の美津江」なのです。

もちろん台詞は美津江と竹造に
分かれていて、
実際の舞台でも美津江役の女優のほかに
竹造役の男優も登場します。
しかし竹造はあくまでも幻影であり、
その行為を遂行しているのは
美津江自身なのです。
悲惨な原爆体験が
美津江の心に大きな傷を残し、
そして、木下との邂逅が美津江の心を
限りなく癒やしたのです。
それ故の
美津江の心の分裂なのでしょう。

そうした背景を意識して読むと、
あまりにも痛々しい美津江の姿に
涙が止まらなくなります。
表面的なおかしみの奥底に、
限りない悲しみが
横たわっているのです。

しかしやがて
「幸せを受け入れようとする自分」が
打ち勝ち、
分かれていた心は一つとなるのです。
最後の場面で
美津江が竹造に語る言葉が印象的です。
「しばらく会えんかもしれんね、
 おとったん、ありがとありました。」

井上ひさしの名作をどうぞ。

(2020.8.6)

monicoreによるPixabayからの画像

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