「父と暮らせば」(井上ひさし)②

次の世代へと橋渡しをする責任

「父と暮らせば」(井上ひさし)
 新潮文庫

五年ほど前、NHKBSで放送していた
映画「父と暮らせば」を録画して
繰り返し観ています。
何度観ても素晴らしいです。
文学作品の映画化は
酷いものに変化する例が
あまたあるのですが、
原作が脚本であるため、
映画化されても
内容はほぼ変わっていません。

なんと言っても宮沢りえと原田芳雄の
演技力の高さ。
99%はこの2人の場面なのですから、
並の俳優ではつとまりますまい。
たった二人の語り合いが
延々と続くにもかかわらず、
物語は一瞬たりとも弛緩せず、
感動の連続です。

まず、竹造が一人芝居する
ヒロシマの一寸法師のシーン。
脚本を読んだだけでは、
自分の頭の中に
ここまでイメージすることが
できていませんでした。
セリフの一つ一つが
突き刺さってくるかのようです。
「…非道い(どえりゃー)ものを
 おとしおったもんよのう。
 人間が、おんなじ人間の上に、
 お日さんを二つも
 並べくさってのう。」

そして、なぜ幸せを拒もうとするのか、
その理由を美津江が竹造に語るシーン。
顔をこわばらせながらも
淡々と語る美津江の姿に、またもや涙。
「あんときの広島では
 死ぬるんが自然で、
 生きのこるんが
 不自然なことやったんじゃ。」
「できるだけ静かに生きて、
 その機会がきたら、
 世間からはよう姿を消そう
 思うとります。
 おとったん、この三年は
 困難の三年じゃったです。
 なんとか生きてきたことだけでも
 ほめてやってちょんだい。」

23歳の女性が、このようなことを
いわなければならない時代が、
ほんの70年前にあったのです。

最後に、二人のじゃんけんのシーン。
ここも脚本から十分に
イメージできていませんでした。
「あよなむごい別れが
 まこと何万もあったちゅうことを
 覚えてもろうために
 生かされとるんじゃ。
 おまいの勤めとる図書館も
 そよなことを
 伝えるところじゃないんか。」

戦後75年、被爆75年を迎えた今年。
直接経験為された方々が
高齢となられた現在、
私たち40代50代の大人世代は、
次の若い世代へと
橋渡しをする責任があると思うのです。
ところが私などはまだまだ勉強不足。
こうした本や映画などから、
せめて感性だけでも
磨き続けていかなければならないと
感じている次第です。

※脚本というものには、
 小説とちがい、セリフを中心に
 必要最小限のことしか
 書かれていません。
 脚本を読んで、
 作家の伝えたい場面を想像するのは
 容易でないことを知りました。

(2020.8.6)

Alice CheungによるPixabayからの画像

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