「はちみつ」(瀧羽麻子)

爽やかで明るい大人の世界

「はちみつ」(瀧羽麻子)
(「うさぎパン」)幻冬舎文庫

失恋の痛手で
大好きだったパンが食べられなく
なってしまった桐子。
幼馴染みの美和が心配するが、
別れた恋人の好きだったものが、
喉を通らないのだ。
桐子はひょんなことから
上司の吉田と一緒に
5日間お昼を食べることになり…。

前回取り上げた「うさぎパン」に
併録されている作品であり、
スピンオフ的内容です。
桐子の幼馴染み・美和は、
優子の家庭教師であり、
物理学専攻の大学院生。
桐子を慰めるために買ってきたパンは、
富田の父親の営むパン屋のもの。
美和の会話の中に登場する「高校生」とは
もちろん優子のことです。

学会で多くの大学教員が一斉に出張し、
院生や助手たちが不在となる5日間、
研究室に残った吉田と桐子は、
昼食を一緒にとることになるのです。

吉田は「仙人」と
あだ名されているだけあって、
物静かで余計なことを話さない。
その感情も
ほとんど表面に表れていません。
吉田の持参する弁当はすべて手作り。
二人は淡々と自分の昼食を
一緒のテーブルで食べるだけで、
何も事件は起きないのです。

筋書きが動くのは最後の5日目。
それも場所を
野外へ移動しただけなのです。
たったそれだけなのですが、
そこで吉田の発した
何気ない一言が印象的です。
「長く住めば住むほど、
 自分と関係のあるところだけを
 近道でつないで、
 そこからあまり外れなくなる。
 きっかけがない限り、
 なかなか外には目が向きにくい。」

それは別れた恋人・シュウのことしか
見えなくなっていた桐子の心を
静かに癒やし始めるのです。
そして食事後の吉田の計らいは、
桐子のわだかまりを
すべて洗い流してしまいます。

具体的なことは
一切書かれていませんが、
桐子と吉田の関係が
深まるであろうことを
予感させる事実を淡々と書き置いて、
物語は幕を閉じます。
「うさぎパン」が
高校生・優子の成長物語であるならば、
本作品は25歳の女性・桐子の
それにあたるでしょう。

本作品も「うさぎパン」同様、
刺激的な事件が一切起きません。
さらには二十五歳の女性の失恋と
新しい恋の始まりを、
性的な描写を微塵も入れることなく
瑞々しく描き出しています。
中学生にとって、
ドロドロした大人の世界を
小説で疑似体験することも
もちろん必要ですが、
爽やかで明るい大人の世界を
味わうこともそれ以上に大切です。
「うさぎパン」ともども、
中学校1年生にお薦めします。

(2020.8.11)

phon-taさんによる写真ACからの写真

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