注目すべきは「召人」の存在
「源氏物語 真木柱」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館
髭黒大将はついに玉鬘を
我がものにする。
悲嘆に暮れる玉鬘。
無念さをにじませる帝。
安堵する内大臣。
渋々ながらも
婚礼の儀を整える源氏。
一方、髭黒大将邸では、
正妻・北の方が乱心、
召人たちも同情する。
そして子どもたちは…。
「玉鬘十帖」の終幕となる
源氏物語第三十一帖「真木柱」。
これまでの帖の薄味を
取り返すかのような展開です。
いきなり現れる
髭黒大将と玉鬘の既成事実、
それに翻弄される
源氏をはじめとする面々、
大将一家の悲劇と子どもたちの運命、
最後に再び登場する
近江の君の道化ぶり、
読みどころはこれまで以上に豊富です。
しかしここで注目すべきは
ところどころに描かれている
「召人(めしうど)」の存在です。
「召人」とは何か?
主人格の男性と肉体関係を持った
女房(女性使用人)を
「召人」と呼んでいたのです。
当時は主人が女性使用人と
肉体関係を持つのは
何ら不思議でもなかったようです。
力関係は歴然としている上、
人権など
微塵も顧みられなかった時代です。
多くは力ずくで
関係を結ばされたのでしょう。
さて、本帖には
「木工(もく)の君」「中将のおもと」なる
二人の召人が、数カ所に顔を出します。
「御召人だちて、
仕うまつり馴れたる木工の君、
中将のおもとなどいふ人々だに、
ほどにつけつつ安からずつらしと
思ひきこえたるを、」
(召人の木工の君や
中将のおもとという人たちでさえ、
その身分なりにおもしろくない
思いをしているのに、)
「木工の君、御薫物しつつ、
「独りゐてこがるる胸の苦しきに
思ひあまれる炎とぞ見し、
なごりなき御もてなしは、
見たてまつる人だにただにやは」と、
口おほひてゐたる、
まみいといたし。」
(木工の君が大将の着物に
香を薫きしめながら、
「胸焦がれる思いが炎となって
燃えたのでしょう。
あんまりひどいなさりよう、
だまってみていられません。」)
これまで召人については、
源氏のそれが「澪標」等で
描かれているのですが、
「召人」という言葉では
表されていなかったと思います。
それが本帖ではその存在に
しっかりと照明が当てられ、
さらには歌を詠み、
感情表現まで与えられているのです。
これはもちろん
作者・紫式部がある意図を持って
描いたことなのでしょう。
自らの意に反して髭黒大将に
嫁がざるを得なくなった玉鬘、
玉鬘の登場により不幸の極みに
突き落とされた正妻・北の方、
その二人の悲劇にだけ
目線が向けられがちですが、
この「召人」の存在にこそ
注目する必要があるのです。
「妻」でも「妾」でもなく、
ましてや「恋人」でもない「召人」。
この報われざる女性たちを
あえてここで目につくように配置した
紫式部は、
この非人間的な女性の扱われ方を、
後世に向けて
告発しようとしたのかもしれません。
(2020.8.15)