コミュニケーションにおけるダブルバインド
「わかりあえないことから」
(平田オリザ)講談社現代新書
「コミュニケーション能力の育成」やら
「言語活動の充実」やら
「対話的学び」やら、
現代の学校では、言葉を伝えることが
重要視されて久しくなりました。
それは間違っているとは考えませんが、
言いようのない違和感を
ずっと感じていました。
本書を読んで、
その「違和感」の正体が掴めてきました。
筆者・平田オリザ氏は本書第1章の中で
次のように指摘しています。
「いま、企業が求める
コミュニケーション能力は、完全に
ダブルバインドの状態にある」。
ダブルバインドとは二重拘束、
二つの矛盾したコマンドが
強制されている状態のことです。
つまり、一方では
「異文化理解能力」(異なる文化、
異なる価値観を持った人の
意見を理解し、
かつそれらの人たちに自分の主張を
的確に伝える能力)といった
新しいコミュニケーション能力を
求められながら、もう一方では
「上司の意図を忖度して機敏に行動する」
「空気を読んで反対意見を言わない」
「集団の和を大切にする」といった
従来型のコミュニケーション能力を
要求されているのです。
これまで私たちは
「わかりあえる」ためのものとして
「コミュニケーション」を
考えてきました。
本書はコミュニケーションにおける
ダブルバインド状態を出発点として、
「わかりあえない」ことを前提とした
「コミュニケーション」の捉え直しを
提案しているのです。
「異文化理解能力」と
「従来型コミュニケーション能力」の
どちらが大切か?
日本がこれから国際社会で
生き抜いていくためには
「異文化理解能力」が
必要不可欠となるのは
言うまでもありません。
だからといって
「従来型コミュニケーション能力」が
淘汰されることは、日本社会の構造上、
難しいと氏は考えています。
氏は現状のダブルバインドを
受け止めながら生きることの必要性を
説いているのです。
そこから生じる困難を受け止めながら
生きていくしかないと
述べているのです。
確かにその通りです。
新しいコミュニケーション能力を
身につけた子どもたちが、
社会に出た途端に何の疑いも持たずに
その能力だけを発揮したら、
集団の中で浮き上がり、
潰される可能性もあるのです。
それまで受けた教育に対して
裏切られた気持ちを
持つかもしれません。
いや、すでに私たち大人が
その矛盾にさらされています。
学校でも教師集団(私を含めた)は、
子どもたちに
新しいコミュニケーションを
求めながら、その一方で
円滑な集団生活を強いています。
教員もまた
新しい学校づくりを求められながらも、
管理職や教育長に
「忖度」することを要求されます。
私たち大人にとって、
まずはそのダブルバインドの状態を
正確に受け止めること、
そしてこれからの日本社会の
あり方について真剣に考えていくこと、
その二つがこれからの時代は
大切になってくるのでしょう。
(2020.8.17)