「パパ・ユーア クレイジー」(サローヤン)

父親に対するリスペクトが感じられるのです

「パパ・ユーア クレイジー」
(サローヤン/伊丹十三訳)新潮文庫

マリブの海辺にある父の家で、
「僕」の新たな生活が始まる。
父は「僕」に、
「僕」自身の小説を書くよう
助言する。
「僕」は海や太陽を
知ってはいるけれど、
自分や世界を
本当に理解するには
どうすればいいのか、
「僕」は父に問いかける…。

なんともはや
不思議な魅力に溢れた小説です。
全63章に細かく分かれているので、
機会を見つけて
部分的に読み返していたのですが、
改めて一通り再読すると、
やはりその面白さに魅了されます。

父と母が離婚し、4人家族が
父と息子、母と娘に
別れて生活するところから
物語が始まります。
それ以後、大きな起伏はなく、
父と息子の禅問答のようなやりとりが
延々と続くのです。
第1章と第53章に母親が登場しますが、
それ以外はすべて
父親と息子のセリフで構成されます。

読むとまず面食らうのは
訳文の異質さです。
伊丹十三(!)の訳は相当変です。
あとがきに
その経緯が書かれてあるのですが、
人称代名詞を省略しないという
基本方針に沿って訳されています。
そのため、
「僕の父は僕の母に、
 彼女が僕と僕の父を車で送ることを
 断った。」
などという、
まるで中学校1年生が
英語の教科書を一語一語直訳したような
ぎこちない言い回しに
なっているのです。

しかしそれが
不思議な効果をもたらしています。
息子のセリフからは、
父親とちょっとだけ距離を置きながらも
本音で話しているようすが
表れています。
そこに父親に対する
リスペクトが感じられるのです。
父親のセリフからは、
子どもを一人の人間として
対等に扱いながらも、
しっかり導こうという
強い意識が感じられるのです。
父子でありながらも人生の先輩と後輩、
そして同じくこの世を生きるもの同士、
場面場面で、二人は実に見事に
演じ分けているかのようです。

この小説、大人にとっては
哲学書といえるでしょう。
固定観念を捨て、
純粋無垢な視線で物事をとらえることが
必要であることを教えてくれます。

では、子どもにとっては難しいのか?
いや、哲学ととらえる必要はないのです。
至るところに現れる
謎かけを考えることが、
生き方を思考する
手がかりとなるでしょう。
親子関係が難しくなり始める
中学生に読んで欲しい一冊です。

※こんな素敵な小説を書く
 サローヤンですが、
 実生活はギャンブル好きで
 家庭内でも暴力を
 振るっていたようです。
 小説同様、
 奥さんと離婚しています。
 彼自身、幼い頃に父親を
 亡くしていることを考えると、
 本作品は
 自伝的私小説などではなく、
 彼が得ることのできなかった
 父子の理想の姿を
 表したものなのかも知れません。

(2020.8.19)

simardfrancoisによるPixabayからの画像

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