木下順二は民衆の願いに寄り添いながらも
「夕鶴」(木下順二)
(「夕鶴・彦市ばなし」)新潮文庫
妻・つうの織り上げる反物によって
財をなした与ひょう。
その反物は
幻の「鶴の千羽織」であり、
都では千両で売れるのだという。
つうはすでに最後の一枚を
織り上げていたのだが、
悪い商人の運ずと惣どが
鶴の千羽織の噂を聞きつけ…。
前回取り上げた
本書「夕鶴・彦市ばなし」。
他の7篇について「幸福な終わり方を
してい」ると書きました。
この1篇だけが
不幸せな終わり方なのです。
運ずと惣どにそそのかされた
与ひょうがねだった
「最後の一枚」に加え、
「もう一枚」を織り上げたつう。
その「もう一枚」はお別れの一枚であり、
つうは痩せ細った鶴の姿で
空に消えていきます。
現代ではなかなか理解できない話に
なりつつあるのではないでしょうか。
すべてをなげうって
男に仕える女性など
考えられないからです。
ここで押さえるべきは
「つうの正体は鶴」という、
わかりきったことなのです。
つうにとっての望みは、
命を助けてくれた与ひょうと一緒に
いつまでも暮らすことであり、
「お金」「財産」など
理解不能だったのです。
自然界に生きる生き物にとって、
大切なのは「生きる」ことであり、
それ以外の「欲」の
存在しない世界なのです。
つうは運ずと惣どの、
欲深い二人の言葉を
理解することができませんでした。
それは「欲深い人間」とは
異なる世界に生きていることを
意味します。
一方、与ひょうは働き者だったにせよ、
やはり人間なのです。
つうのようなよくできた美人妻を
得ただけで満足できず、
「お金」があることが
幸せな状態だという考えから
抜け出すことができなかったのです。
最後は与ひょうの言葉も、
つうには聞き取ることが
できなくなります。
「あんたが、とうとうあんたが
あの人たちの言葉を、
あたしに分らない世界の言葉を
話し出した…」。
それがつうに与ひょうとの別れを
決断させるのです。
苦しい生活から抜け出して
幸せになりたいという願いが
織り込まれているのが民話であり、
「夕鶴」も同様です。
しかしその願望は、
得てして金欲・物欲に
取って代わることもまた多いのです。
作者・木下順二はそうした
民衆の願いに寄り添いながらも、
金欲・物欲にははっきりと
「否」を突きつけたのではないかと
思われます。
團伊玖磨が歌劇化するにあたり
「一言一句戯曲を変更しては
ならない」という絶対的な注文を
木下から受けた話は有名です。
それほど木下はこの戯曲に
確固とした信念を持っていたと
考えられます。
現代では理解されにくい
作品世界だからこそ、
現代の若い人たちに
味わってほしいと思います。
(2020.9.1)