「闖入者」(安部公房)

闖入「家族」の暗示するもの

「闖入者」(安部公房)
(「水中都市・デンドロカカリヤ」)
 新潮文庫

「闖入者」(安部公房)
(「暴走する正義」)ちくま文庫

一人暮らしの「ぼく」の部屋に、
ある夜突然、
九人家族が「闖入」し、
部屋の所有権を主張する。
反論する「ぼく」に対し、
多数決を実施し、
「民主主義」の名の下に、
家族は部屋を占拠する。
家族は次第に「ぼく」のすべてを
略奪し続ける…。

本書は以前取り上げた安部公房
戯曲「友達」の原作的短編小説です。
「友達」発表が昭和42年に対し、
本作品は昭和26年執筆。
違いは戯曲と小説という
形式だけではありません。

「友達」での闖入「家族」は、
あくまでも友達として、
したたかに主人公を
がんじがらめにしていきます。
それは「世間」を表していると
考えられます
(登場人物「次女」の最後の台詞に
「さからいさえしなければ、
私たちなんか、ただの世間にしか
すぎなかったのに…」とある)。

一方、本作品の「家族」は、
極めて暴力的です。
多数決の原理を用いて
「ぼく」に次から次へと
理不尽な要求を突きつけます。
給料をすべてうばわれ、
恋人との仲を裂かれ、
屋根裏に監禁され、
万引きまでさせられ、
「ぼく」は「家族」の奴隷と
なり果てるのです。

多数決の命令に従おうとしない
「ぼく」に対して
「家族」が何度も発する言葉、
「ファシストめ」。
一人の正しい常識的な意見すら、
異常な多数の前では
「ファシスト」として
葬り去られるのです。

「ぼく」は最後の抵抗として、
見張りの目を盗み、
法律事務所に駆け込みます。
するとその弁護士は、
「そのことでしたら、
 お気の毒ですが、
 御役に立つわけには参りません。
 現に私たちには
 貴方を守る力がないのです。
 現に、私からしてが闖入家族に
 襲われているんですからねえ。」

そうです。弁護士もまた闖入「家族」に
隷属させられていたのです。
闖入「家族」は
一組だけではなかったのです。
日本全国いたるところで
無法な闖入「家族」に
鎮圧させられている人間が
存在しているかも知れない。
そんな予感を仄めかしています。

高度経済成長期に書かれた「友達」の
闖入「家族」が
真綿で首を絞めるように
じわじわと侵攻したのに対して、
敗戦直後に編まれた本作品のそれは、
力ずくで強引に侵略していきます。
時代背景を考えたとき、
その姿は占領軍と重なります。

闖入「家族」の暗示するものが
「占領軍」から「世間」へ変わるほど、
その間の十数年の時間の流れが
急だったことを感じさせられます。
現在であれば、
安部は何を闖入「家族」と見立てるか、
興味深いところです。

(2020.9.3)

Nick MagwoodによるPixabayからの画像

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