性が生へと昇華していく
「夏草」(大城立裕)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
新潮文庫
砲弾の雨が降り注ぐ沖縄。
娘と息子を失った「私」は、
妻と二人きりで彷徨っていた。
食糧も尽きた。
死んだ一人の兵士の
腰元を見ると、
そこには一個の手榴弾が。
「私」はその手榴弾を掴む。
これだけの重みがあれば
確実に死ねる…。
以前取り上げた
「対馬丸」の作者・大城立裕の短編小説が
「日本文学100年の名作第8巻」に
収められています。
本作品もまた
戦争に関わる小説でありながら、
他とは大きなちがいがあります。
生きる希望が見えるからです。
もちろん、
兵士の死体から奪った手榴弾は
死のうと思ってのものです。
しかし、その手榴弾を携帯した瞬間から、
「私」はなぜか
気持ちに余裕が出てくるのです。
「足取りが軽くなった気がして、
意外であった。
死体にぶつかれば、
蹴飛ばす前にそれを避けた。
手榴弾を持っていることから来た
自信のせいであった。」
二人は娘・息子を
砲弾の飛び交う中で死なせてしまい、
その後もずっと兵士や民間人の死体を
見続けて生きのびてきました。
蝿のたかった無惨な死体を見るにつけ、
「ああはなりたくない」という
思いがよぎり、
その恐怖から逃れるには
「死ぬしかない」と
思い続けてきたのです。
だからこそ、「手榴弾一発で豪快に
その恐怖から解放される、
という思いつきは、
私にある種の至福の思いを
抱かせた」のです。
月夜の晩、墓場に辿り着いた二人が
いよいよ死のうと決心したその時、
…なんと体長1mを超す
ハブに遭遇します。
ハブに気付かれないよう、
息を殺して抱き合う二人。
運良くハブが立ち去ったあと、
二人はどうなったか?
「私は全身から力を抜き、
腕を解こうとした。
しかし、妻の身体が離れなかった。
妻の身体から
かすかな震えが伝わってきた。
それがはじめは、
ハブへの恐怖の余韻かと思ったが、
そのままあたらしい感情へ
移ったことのあらわれだと、
私は覚った。」
「死ぬ前に、と求めたのは
どちらが先だろう。
二人でともに生きている思い出に、
と念じていることは
間違いがなかった。」
二人の子を失い、家は焼かれ、
逃げるあてもなく、食糧も尽き、
死を覚悟してさえいた二人です。
それが恐怖のために抱き合い、
お互いの体温を感じた瞬間から、
性への意識がよみがえり、
生への希求につながっていく。
性が生へと昇華していったのです。
死の暗闇の中に一筋見えた光明。
戦争文学の中で
数少ない救いのある作品です。
〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992|鮨 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫
(2020.9.4)