ここに太宰の小説の上手さが凝縮されています
「眉山」(太宰治)
(「戦後短篇小説再発見①」)
講談社文芸文庫
「眉山」(太宰治)
(「グッド・バイ」)新潮文庫
「僕」の行きつけの店の女中・
トシちゃんは大の小説好き。
あだ名は眉山。
音楽家・川上六郎氏を
小説家の川上眉山と
間違えたからだ。
彼女はお漏らししたり
味噌を踏んづけたり、
何かと失敗も多い。
「僕」が体調を崩している間に
彼女は…。
トシちゃん(年齢は二十歳前後)。
彼女は小説が好きだったために、
小説家である「僕」と
その仲間(の多くは小説家以外の
文化人)に対して積極的に給仕し、
会話に割り込んでくるのです。
しかし気の毒なことに
教養は十分ではなかったのでしょう。
川上という名字の音楽家に対して
「ああ、わかった。川上眉山。」と
答えるのですから
(川上眉山は明治41年没。
本作品の舞台は戦後まもなく)。
彼女に対する「僕」の態度
(=作者・太宰の筆致)は劣悪です。
彼女の風貌について
「背が低くて色が黒く、
顔はひらべったく眼が細く、
一つとしていいところが無かった」と
言い切っているのですから。
さらには彼女の失敗(そのすべてが
頻尿に起因する)を、
仲間たちとを次々にあげつらうのです。
間に合わずに
トイレでお漏らしをしたこと、
階段をひどい勢いで駆け下りること、
慌てて味噌を踏んづけたまま
トイレに駆け込んだこと、等々。
その会話の内容は、
彼女を見下してのものであり、
彼女の尊厳を踏みにじるものであり、
「いじめ」以外の何物でもありません。
読んでいて嫌気がさすほどです。
その状況は、
「僕」が体調を崩して十日間ほど
寝込んでいた間に一転します。
そして読み手の受ける印象も
百八十度転換します。
それまで無教養で出しゃばりで
そそっかしい田舎娘という
トシちゃんの人物像が、
短い青春を駆け抜けていった
心の美しい少女へと一転します。
そして本作品が大人のいじめを描いた
短篇などではなく、
晩年の太宰の正直な自己批判の
表れであることが読み手の前に
明らかになるのです。
前半14頁にわたる彼女を卑下した
太宰の筆致は、
すべて最終2頁で明かされる
彼女の哀しい運命と、
それを知らなかった自身への
強烈な自己否定へとつながり、
無駄の一つもない
作品構成となっているのです。
ここに太宰の小説の上手さが
凝縮されています。
最終2頁に何が書かれてあるか?
詳しいことはぜひ読んで
確かめていただきたいと思います。
※実は若い頃から
本作品を読んでいたのですが、
あまり良く
理解できていませんでした。
今回、アンソロジー
「戦後短篇小説再発見」に
収録されたものを読んで、
本作品の真価を
実感できた次第です。
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(2020.9.8)
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