「暗号手」(大岡昇平)

軍隊という組織の「闇」

「暗号手」(大岡昇平)
(「百年文庫007 闇」)ポプラ社

フィリピン戦線サンホセ警備隊に
所属する「私」は、
隊唯一の暗号手として
使役の仕事を上手に逃れていた。
自分が任務を
全うできないときの備えとして、
「私」は代理を一人養成することを
上官に進言し、
中山がその任に選ばれる…。

実際に暗号手として
フィリピン戦線に配属された
作者・大岡昇平の短篇作品です。
著者は戦争の愚かさ以上に、
人間の心の闇に焦点を当てています。

「私」は、代理を養成する際、
自分の独占的地位
(肉体労働的使役の回避)が
危うくなることを想定していました。
それでも踏み切った理由は
軍の機能維持を
優先したからではありません。
「既に死が眼の前に控えている現在、
 身すぎ世すぎのため
 身につけざるを得なかった、
 不幸な智慧を働かせたくなかった。
 生まれついたままの
 一夢想家として
 死のうと決心していた。」

しかし、
「私」から暗号を伝授された中山は、
「私」が嫌った「不幸な智慧」を使い、
みるみるうちに出世し、
「私」を追い越してしまいます。

「私」は、というよりも作者・大岡は、
この中山の要領の良さを
非難しているのではありません。
軍隊という組織の「闇」に対して
批判の矛先を向けているのです。
鼻薬を効かせるとすぐになびく。
任務の遂行状況の優劣ではなく
上官に対する態度で評価が決まる。
弱い立場の人間を攻撃する。
外の敵に向かって
一枚岩となって突き進むのではなく、
組織の内側の論理が優先される。
日本の軍隊がいかに
戦争に不向きな集団であったかを
詳らかにしています。

「私」が中山に投げかけた言葉が
印象的です。
「おい、君はそうやって
 うまく立ち廻るらしいが、
 実はつまんないんだぜ。
 どうせ俺達は助からないんだ。
 株を上げると却って
 身体を使わなきゃならねえのは、
 会社も軍隊も同じことさ。
 いい加減に投げ出して
 呑気にやるもんだよ。」

諦めでも投げやりでもなく、
機能不全となっている組織に対する
静かな抗いなのでしょう。

さて、「私」と中山、
二人の結末は…、
中山は過労から病死し、
「私」は生き延びるのです。
二人の生死を分けたのは、
要領の善し悪しなどという
単純なものではなく、
組織の中でのふるまい、
戦争に対する考え方、
極限状態において発現する
人間としての本質など、
様々な要素が
関わっているのでしょう。

戦争そのもの以上に、
戦争体験で見えた
人間の本質を追究した
大岡の一連の戦争作品。
高校生に読んで欲しい逸品です。

(2020.9.9)

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