「晩夏」(井上靖)

あたかも晩夏の短い時期のような

「晩夏」(井上靖)
(「教科書名短篇 少年時代」)中公文庫

ある年の晩夏、
「私」は東京からやってきた
病弱の少女・きぬ子に
異様な執着と思慕の情を覚える。
散歩するきぬ子を見つけては、
仲間を使って
いたずらを仕掛けた。
ある日、父は釣ってきた魚を、
きぬ子の家へ届けろと
「私」に命じる…。

「私」は舞台である海辺の町に住む
小学校4・5年生で11、2歳。
きぬ子はそれより2つ3つ年上の
13~15歳の美少女。
「あすなろ物語」の鮎太同様、
年上の女性に恋してしまうのです。
恋するといってもそこは小学生、
気になる女の子に
ちょっかいを出すという、
子ども特有の恋愛感情の表現方法です。

本作品の「私」にも、作者井上靖
投影されているのでしょう。
やはり鮎太同様、
「私」の態度は積極的ではありません。
直接手を出すのではなく、
仲間を使って恐る恐る接点を
探っているのですから。

読みどころの一つは、
きぬ子の父親から注文された魚を
「私」が届ける場面です。
勝手口で呼び出すと、
出てきたのがきぬ子だったので
何も言えなくなり、
ついには代金を受け取ることすら
恥ずかしく感じ、
「父ちゃんが上げておいでって…」。
小学生の初々しさが
よく表れています。

もう一つは
きぬ子と親しく接している大学生を、
またもや仲間とともに
襲撃する場面です。
松林を散歩している
大学生を待ち伏せし、
投石攻撃を仕掛ける小学生軍団。
一種の襲撃事件なのですが、
相手が小学生だから
微笑ましい限りです。

でも、
ここで「私」は少しだけ成長します。
他の年下の子どもたちが
次々に逃げ散らばっても、
「私は立木の一つに身を匿すと、
 逃げるのをやめた。
 逃げてなるものかと思った。
 そして、松林の入口で
 立ち止まっている彼の方へ
 石を投げた。」

子どもからちょっとだけ
大人へと変化した一瞬なのでしょう。
あたかも夏から秋へ移り変わる
晩夏の短い時期のような。

美しいものに憧れ、
美しいものに近づきたいと願い、
美しいものから
結果的に遠ざかってしまう、
小学生の繊細で多感な心の有り様。
それを
壊れものでも扱うかのような
丁寧な筆致で描きつくした
井上靖の傑作短篇。
教科書にも載った名作ですが、
私は読んでいませんでした。
心が洗われるような一品でした。

(2020.9.14)

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