彼女が思い出すのは、夫が語る「川」
「長良川」(原田マハ)
(「星がひとつほしいとの祈り」)
実業之日本社文庫
堯子は娘・麻紀と
その婚約者・章吾との三人で、
長良川沿いの旅館を訪れる。
そこは一年前、
まだ生きていた夫・芳雄とともに
旅した地でもあった。
水うちわや鵜飼いを見る
堯子の脳裏には、
芳雄と過ごした日々の
思い出が甦っていく…。
堯子と芳雄、
二人の間に運命的な出会いが
あったわけでも、
熱烈な恋愛が
あったわけでもありません。
お見合いの席では
お互いに無口だったのに、
「そのえくぼ、
いただきました。」の一言で
結婚を決めたのでした。
結婚後も、
人生を変えるような出来事が
あったわけでも、
夫婦に波風を立てるような騒動が
あったわけでもありません。
一人娘が生まれ、
ごくありふれた人生を
送ってきた二人でした。
そんな堯子にとって、
芳雄が癌にかかったことと
娘が結婚すること、
この二つが同時期に起きたことこそ、
人生でもっとも大きな
「事件」だったのでしょう。
夫を永遠に失い、
娘を手放すことになるのですから。
彼女が思い出すのは、
夫が語る「川」なのです。
「川と、川を取り巻くものたち。
川があって、橋が架かって、
人々が行き来して。
川辺があって、家が並んで、
釣り人が糸を垂れて。
水鳥、魚、鵜舟。
大昔からずっと続いている、
人間の営み。
その中心を、静かに流れていく川。」
特別に変わったもののない、
穏やかで静かな、
それでいてあるべきものがそこにあり、
いくつもの生命が確かに息づいている、
川の風景です。
人の一生は、よく川に喩えられます。
起伏に富んだ流れの激しい川もあれば、
本作品に描かれた長良川のように、
穏やかに流れゆく川もあります。
堯子の人生は、
後者のようなものだったのかも
知れません。
川の流れが絶えないように、
堯子の人生も、
また流れ続けるのです。
芳雄との思い出をたぐるうち、
堯子は自分が
幸せであったことに気づきます。
そして娘からは同居の誘いを受け、
これからの人生の幸せを
予感させながら、
物語は幕を閉じます。
彼女と同じ世代に
さしかかった私にとっては、
彼女の感じている不安と希望、
喪失と祈りが
痛いほどよくわかります。
噛みしめるように味わう
大人の作品といえるでしょう。
2006年にデビューして以来、
次々に作品を発表してきた原田マハ。
もっと作品を読んでみたいと思う
現代作家の一人です。
(2020.9.16)