大正時代はまだまだ探偵小説の黎明期
「火縄銃」(江戸川乱歩)
(「江戸川乱歩全集第8巻」)
光文社文庫
「わたし」は友人橘とともに、
林一郎二郎兄弟が
滞在しているホテルに招かれる。
部屋を訪問すると
一郎はすでに息絶えていた。
密室状態で
二郎所有の猟銃で撃たれたのだ。
嫌疑者として
二郎が拘引されるが、
橘はそれに異を唱える…。
乱歩学生時代(大正15年)の習作です。
何でも日記帳の余白に
書き付けてあったのだとか。
極めて簡素な構成の短篇です。
まずは登場人物から。
「わたし」:語り手・学生
橘梧郎:「わたし」の友人
探偵趣味がある
林一郎:「わたし」の友人
ホテル滞在中殺害される
林二郎:一郎の義弟
一郎とは仲が悪い
と、これだけなのです(あとは
ホテルマンと刑事)。
橘が探偵役で「わたし」が助手、
一郎が被害者だとすると、
あとは犯人の可能性があるのは
二郎しかいなくなるわけです。
物的証拠が全くなく、
密室殺人の謎も解明しないまま、
状況証拠のみで
警察が二郎を勾引するのは、
いくら大正期とはいえ
乱暴すぎる気がしますが、
そうでなくては
探偵小説が始まりません。
当然二郎は無罪です。
学生素人探偵・橘は、このあと見事に
二郎の無罪を立証し、
真犯人(?)を暴いていきます。
ただし、この橘の言動により、
読み手にはその謎が
わかるような仕組みになっています。
刑事に対して
「この事件は犯罪ではないのですよ」。
さらには「明日証拠を見せる」と
啖呵を切っておきながら、
「若し明日雨天か、
少しでも曇っていたら駄目」。
さらに、机上にあった銃は火縄銃、
そのそばには水の入った玻璃瓶
(ガラス瓶)とくれば、
読み手にも十分察しがつきます。
本来、探偵小説というのは、
最も怪しい人物が実は無実で、
真犯人は意外なところにいるという形が
主流でしょう。
しかし大正時代は
まだまだ探偵小説の黎明期であり、
多くの作家がそれぞれ
試行錯誤していた時期なのです。
ましてや学生時代の
落書きのような習作です。
多くを期待してはいけません。
いやいや、じっくり読むと、
このもったいぶった橘なる人物には、
明智小五郎や金田一耕助といった、
後の世の
名探偵像の片鱗が見いだせます。
トリックも大がかりな仕掛けではなく、
単純明快でありながらも十分奇抜です。
そしてそのトリックの解明も、
説明ではなく
劇的な実演を持って行うのも
心地よいかぎりです。
後の乱歩作品の骨格ともいえるものが、
しっかりと備わっているのです。
習作と侮るなかれ。
乱歩作品は、やはり味わい深いのです。
(2020.9.18)
【青空文庫】
「火縄銃」(江戸川乱歩)