太宰の心の闇がしっかりと刻み込まれている
「犯人」(太宰治)(「津軽通信」)
新潮文庫

「一緒に帰れるお家があったら、
幸福ね」という
森ちゃんからの言葉を受け、
鶴は二階の部屋を借りられるよう
姉の嫁ぎ先を訪ねる。
しかし姉からまったく
相手にされなかった鶴は、
衝動的に姉を刺し殺す。
鶴は逃避行を重ねた末に…。
文豪の書いた犯罪小説ということで、
志賀直哉、谷崎潤一郎と
取り上げました。
今日の太宰治の本作品も、
衝動殺人と逃避行を扱っていますので
犯罪小説といっていいものです。
本作品の読みどころは、
太宰特有の「自滅する男の姿」が
描かれていることでしょう。
自滅するのは
主人公・鶴(鶴田慶助)26歳です。
鶴の自滅①あっという間に衝動殺人
交際している女性(森ちゃん)から
「一緒に住みたい」という
意思表示を受けて
すぐに行動するのはいいのですが、
姉に断られるやいなや
凶行に及んでしまいます。
乳飲み子を抱えた
実の姉に斬りつけるのですから、
尋常ではありません。
冷静に次の策を
考えることができないのが
「自滅する男」特有の症状です。
鶴の自滅②店の金を持って逃避行
彼は姉の嫁ぎ先の店の金をくすねて
逃避行を決行します。
計画性のない
行き当たりばったりの行動の連続です。
もっとも先を見る能力があれば、
人間、自滅などしないのでしょうが。
鶴の自滅③酒と女で現実逃避
それでいて、
とことん逃走するわけでもありません。
酒と女に溺れて
現実を直視するのを避け続けます。
もともと森ちゃんへの
純愛から生じたことなのに、
遊び女に現をぬかしているのです。
徹底的に自滅していきます。
鶴の自滅④最後は薬物自殺
身のまわりのものすべてを売り払い、
その金で最後の豪遊をした後に
大量の薬物を飲んで自死します。
「破滅する男」のお決まりの道筋です。
最後には実は…、という
「落ち」があるのですが、
それがなおさら鶴の間抜けぶりを
浮き彫りにしています。
ぜひ読んで確かめてください。
さて本作品は、「実につまらない」と
志賀直哉に酷評されています。
確かに実の姉に対する衝動殺人は
不自然すぎるし、
逃避行も極めて単純です。
終末も何の救いになっていません。
作品の主題も明確でありません。
犯罪小説としても純文学としても
面白みに欠けると言われれば
それまでのような気がします。
しかし本作品の発表は
昭和23年1月であることを
見逃すわけにはいきません。
太宰が入水自殺する
僅か半年前の作品なのです。
鶴は太宰自身であり、
その五ヵ月後に発表する
「人間失格」の原形のような作品と
考えることができるのです。
鶴の遺書にもならない走り書き
「私は死にます。
こんどは、犬か猫になって
生まれて来ます」が、
それを物語っています。
犯罪小説としてつまらなくとも、
そして純文学作品としての
完成度が十分でなくとも、
本作品には太宰の心の闇が
しっかりと刻み込まれているのです。
(2020.9.30)

【青空文庫】
「犯人」(太宰治)
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