「しずかな日々」(椰月美智子)②

救われることのない哀しい生き方

「しずかな日々」(椰月美智子)
 講談社文庫

祖父との生活も
馴染んできた「ぼく」。
親友押野とともに
夕食の買い物に
出かけたスーパーに、
たまたま母と
仕事仲間のみどりさんがいた。
「ぼく」の買い物かごを
覗こうとした母に、
「ぼく」は思わず
大きな声を立てる。
「触らないで」…。

一週間ほど前に取り上げた本作品。
「中学生の子どもたちが読めば
物語の中にすんなり入り込むことが
できる」と書きました。
子どもが読んだとき、
違和感なく作品に没入でき、
かつ精神的な成長を
主人公から感じ取ることのできる
希有な児童文学作品だと思います。
しかし、大人の視点から俯瞰すると、
本作品はまた違った姿を見せ始めます。

主人公「ぼく」の成長は、
母親からの「自立」というよりも
「決別」に近いのです。
だからこそ、
久しぶりに出会った母親に対して
冷たい態度を
「ぼく」にとらせているのです。
本来甘えたい盛りの
小学校5年生の男の子がなぜ?

母親の新しい仕事が、
決して通常のものではないことを、
作者はところどころで匂わせています。
仕事仲間のみどりさんが
母を「先生」と呼ぶこと。
内容不明な準備期間が必要であること、
そして冒頭に記した粗筋場面で、
母親が作務衣のようなものを着て
現れていること等々。

大人となった「ぼく」が回想する終末で、
その事情が明らかになります。
「母さんは何度か週刊誌をにぎわせ、
 一時期、時の人となった。
 ぼくは何回か
 転職せざるをえなくなった」
「母さんはその後も変わらず、
 独自の活動をしている」

おそらく、
新興宗教の類いなのでしょう。

5年生の「ぼく」は、
自分たちの住み慣れている世界から
少しずつ離脱していく母親の姿を
敏感に感じていたのでしょう。
だからこそ、仲間たちを招いての
祖父宅での夕食の材料に、
母親の手を触れさせたくなかったのだと
考えることができます。

母親に焦点を当てたとき、
実の父親(「ぼく」の祖父)とは
疎遠となり、
夫には死に別れ、
今また子どもに見捨てられ、
一般社会とは異なった次元で
生きざるをえない哀しい魂
が浮き彫りになってくるのです。
「ぼく」の心が
「しずかに」成長を遂げていくのと
呼応するように、
母親の精神もまた
「しずかに」異質なものへと
変化していくのです。

大人が読むと、
そこに救われることのない
哀しい生き方を見いだしてしまう
作品なのです。
児童文学という表の顔とともに、
純文学として十分に通用する
裏の一面を持った本作品。
中学生だけでなく、
大人のあなたにも薦めたいと思います。

(2020.10.12)

tomphgalleryによるPixabayからの画像

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