「やりなおし高校国語」(出口汪)

他者意識を前提とした読解力

「やりなおし高校国語」(出口汪)
 ちくま新書

まさに表題どおり、
高校の国語の授業を
やり直さなければならないと
感じさせる一冊です。
作品を「読む」とは
こういうことだったのか、と
改めて思い知らされました。

「名作とは誰が読んでも
 面白いものなのだ。
 そして、何か心の奥深いところで、
 人に深い感銘を
 与えるものなのである。
 それが面白くないのは、
 単に作品を
 読めていないだけである。」

冒頭から厳しい指摘です。
面白い、面白くないは、
個人の嗜好の問題と思っていました。
しかし、こと「名作」については
読解力の有無の問題だというのです。
怖い先生から叱られたような感覚です。

筆者はさらに森鴎外の「舞姫」の授業で、
「エリスは女の恥」という
感想を書いた女子高生の例を取り上げ、
次のように指摘します。
「作品を正確に、客観的に、
 深く読解することなく、
 自分の狭い価値観から
 作品を歪めて解釈し、断罪する。
 そして、それを個性や独創性だと
 勘違いする。
 このような国語教科書の
 読み方をしている限り、
 真の学力が身につくはずはない」

私も「舞姫」については
未だによく理解できていませんでした。
一つ一つ正確に読み解き、
かつ時代背景を
読み込んでいかなくては
作品の真の姿に
到達できないということなのです。

そしてそれが次のことにつながります。
「文学こそが、
 様々な時代状況の中で、
 人間の心の声を
 伝えてくれるのである。
 それを現代の価値観や
 自分の生活感覚から
 再解釈するのではなく、
 作者の息づかいに従って、
 客観的に読解していく。
 そこから、作者や登場人物との
 対話が始まるのである。」

私もつい、自分の生活に引き寄せて
作品を解釈してしまうことが
あるのですが、
それは本来の読解ではないのです。

もちろん、読書は
いろいろな読み方があり、
楽しみ方があるのでしょう。
でもそれは
「エンターテインメントとしての
読書」だと思うのです。
そこから一歩も二歩も踏み出して、
作品の持つ面白さを味わい尽くすには、
正確な読解力が
必要であるということなのです。
他者意識を前提とした
読解力・論理力・国語力を、
もっと磨いていかなくてはならないと
痛感した次第です。

現在高校生のあなた、
そして高校生の頃、国語の授業が
つまらないと感じていた
大人のあなたにお薦めします。
高校国語をやり直してみませんか。

(2020.10.16)

Terryさんによる写真ACからの写真

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