紫の上に見る、作者の人物設定の「影」
「源氏物語 御法」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館
ここ数年
体調を崩していた紫の上は、
酷暑の中で一層衰弱する。
幼い若宮たちの見舞いを受け、
紫の上は、その成長を
見届けることのできない
我が身の不幸を嘆く。
そして秋の夕暮れ、
源氏と明石中宮に看取られ、
紫の上はついに…。
源氏物語第四十帖「御法」。
ついに源氏最愛の妻・
紫の上が逝きます。
紫の上の登場が
第五帖「若紫」に遡ることを考えるに、
作者・紫式部はこの紫の上を
源氏に次ぐ最重要人物として
位置づけていたはずです。
つまり、「源氏物語」とは、
源氏と紫の上の物語なのです。
それ故彼女は容姿とともに
知性・性格・才芸などでも
理想的な女性として
描かれているのです。
しかしその割に、
紫の上の人物設定には
「影」が見られます。
その「影」の一つは、彼女が父親に
半ば見捨てられているという環境です。
彼女が生まれてすぐに実母が亡くなり、
彼女はその後、母方の祖母である
北山の尼君に育てられています。
正妻の力が大きく、
父・兵部卿宮の訪問は間遠で、
半ば見捨てられた状態だったのです
(だからこそ源氏による
未成年誘拐拉致にも等しい結婚が
可能だったわけです)。
このことは、彼女にとって
後ろ盾となる人物がなく、
源氏の寵愛が薄れれば、
惨めな地位に転落する
危険性があるということなのです。
それ故、もう一つの「影」は、
源氏との結婚は決して正式なものでは
なかったという事実です。
浅学の私にはよくわかりませんが、
源氏の「正妻」は葵の上と女三の宮の
二人ということになるのだそうです。
現代の読み手からすれば、
源氏の心を奪えなかった女三の宮など
単なる波風を
かき立てただけのものなのですが、
当時の感覚からすれば、その存在は
極めて大きかったのでしょう。
一夫多妻制の当時であっても、
「多くの妻」では決してなく、
一人の「正妻」と多くの「妾」なのです。
その違いは雲泥のものでしょう。
つまり、女三の宮の降嫁によって、
紫の上は源氏の寵愛を得ていても
「妾」にすぎない
不安定な存在であったことを
明らかにされてしまったのです。
そして決定的な設定の「影」は、
子をもうけることが
できなかったことです。
源氏の世継ぎをつくれなかったことは、
当時の女性とすればいつ離縁されても
おかしくない状態だったはずです。
さらには実家と疎遠の彼女にとって、
子のない寂しさはひとしおでしょう。
こうした設定の「影」を考えるに、
紫式部は彼女を最初から
不幸な女性として描いていたのでは
ないかと思われます。
いや、彼女に当時の女性の不幸を
背負わせたと考えるべきでしょう。
これまでも物語の端々に、
さりげなく当時の女性の不遇を
知らしめるような記述を残している
紫式部です。
自身が感じている女性の身の薄倖を、
紫の上にすべて背負わせ、
読み手に訴えかけたのかも知れません。
いずれにしてもこの帖で
「若菜」以降続いていた源氏の悲劇は
頂点に達することになるのです。
そして源氏は一人残されるのです。
(2020.10.17)