
ジュリアンの苦悩こそが本作品の味わいどころ
「聖ジュリアン伝」
(フローベール/谷口亜沙子訳)
(「三つの物語」)光文社古典新訳文庫
「聖ジュリアン伝」
(フローベール/太田浩一訳)
(「百年文庫007 闇」)ポプラ社
将来の成功を予言されて
生まれてきたジュリアン。
狩りを学んだ彼は、
やがて生きものを殺すことに
快感を覚える。
ある日、谷間の鹿の大群を
皆殺しにした彼は、
最後に小鹿を連れた
牝鹿を射貫く。
牝鹿は彼に
不吉な呪いをかける…。
小説「ボヴァリー夫人」で有名な(私は
まだ読んでいませんが)フローベール。
本作品はフローベールの生地にある
ルーアン大聖堂の
ステンドグラスに描かれている
中世の聖人ジュリアンの生涯に
着想を得たものであり、
綿密な調査と取材から
生まれた作品なのだそうです。
〔主要登場人物〕
ジュリアン
…領主の息子。狩りの才能に秀で、
動物を狩ることに夢中になる。
「父」
…ジュリアンの父。領主。
「母」
…ジュリアンの母。
ジュリアンの放った槍で怪我をする。
「皇帝」
…オクシタニアという地域の領主。
敵の奸計にはまり幽閉されていた
ところをジュリアンに救出される。
「妻」
…「皇帝」の娘。ジュリアンの妻となる。
「男」
…老いたジュリアンを訪ねてきた男。
ハンセン病に罹患していた。
本作品は「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」の
三つの部分からなり、それぞれに
ジュリアンの苦悩に満ちた人生が
描かれています。
それぞれの章における
ジュリアンの苦悩こそが、
本作品の味わいどころと考えます。
本作品の味わいどころ①
自らの内に潜む罪の重さへの苦悩
「Ⅰ」は、ジュリアンの誕生から
出奔までが描かれています。
表題の「聖」がかすむくらいの
残虐性が描かれています。
情け容赦なく
獣たちを殺戮していくのですから。
もっとも若きジュリアンはけっして
性格異常者などではないのでしょう。
血を見ることで
快楽を得ているのではなく、
射殺すことが使命と
感じてでもいるかのようです。
その結果として受ける「呪い」なのです。
ジュリアンが受けた「呪い」とは、
「呪われし者よ、呪われし者よ、
呪われし者よ。
荒ぶる魂を持つ者よ。
いつの日か、お前は、お前の父母を
殺めるだろう」というものです。
狩りを止めるジュリアンですが、
「呪い」は徐々に
彼の精神を蝕んでいくのです。
その若きジュリアンの苦悩を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
償っても襲いかかる呪縛への苦悩
しかし「Ⅰ」の終末での苦悩は、
まだほんの序章なのです。
自らの領地を去った彼は、
人が違ったように
正義のために戦い続けます。そして
美しい妻(皇帝の娘)をもらい受け、
安寧の人生が訪れたかのように
見えたのですが…。
ついにその「呪い」は現実のものとなり、
ジュリアンはもうすでに何年も
その顔を見ることさえなかった
父と母を、
自らの短刀で絶命させてしまうのです。
その経緯に、作者・フローベールの
筋書きの組み立ての巧さが
光っています。
これについてはぜひ読んで
確かめてくださいとしか
いいようがありません。
正義のために
命を省みずに戦い続けても、
罪は赦されることなく、
呪縛を解くことの叶わなかった
ジュリアンの苦悩を、
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
償っても救われない運命への苦悩
今度は妻のもとを去った
ジュリアンですが、彼はさらに
「自分の生涯を他人のために
役立てよう」と考え、
激しい流れの大河の土手を整備し、
小舟で旅人を対岸まで安全に渡す
事業を始めます。
それでも彼が許される兆しは
まったく見えないのです。
ついには自殺さえ考える
ジュリアンの苦悩を、
最後にたっぷりと味わいましょう。
さて、彼は救われるのか?
救われるのです。
その感動的な結末も、ぜひ読んで
確かめていただきたいと思います。
それにしても、
光文社古典新訳文庫で50数頁、
活字が大きく行間の広い百年文庫で
70頁弱の短篇でありながら、
超大作を読み終えたような
読後感を感じます。
その分量にジュリアンの一生が
書かれてあるからなのですが、
同時に作者・フローベールの
高密度な文章が、
読み手の心を満腹にしてしまうのです。
推敲に推敲を重ね、
余分な文章のすべてをそぎ落とし、
極限まで減量したプロボクサーのような
実に精悍な文体なのです。
しかも明確な名前を与えられているのは
主人公であるジュリアンのみ。
もし、私に原文を読むだけの
語学力が与えられていたならば、
その磨き上げられた文章の神々しさに
感極まっていたのではないかと
思うほどです。
やはり、ぜひ読んで確かめてください。
(2020.10.21)
〔「三つの物語」光文社古典新訳文庫〕
素朴なひと
聖ジュリアン伝
ヘロディアス


〔フローベールの作品はいかがですか〕
〔百年文庫007 闇〕
進歩の前哨基地 コンラッド
暗号手 大岡昇平
聖ジュリアン伝 フロベール
※百年文庫では
「フロベール」と表記されている
〔百年文庫はいかがですか〕

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