「聖ジュリアン伝」(フローベール)

真の贖罪は弱いものに寄り添うこと

「聖ジュリアン伝」
(フローベール/太田浩一訳)
(「百年文庫007 闇」)ポプラ社

将来の成功を予言されて
生まれてきたジュリアン。
狩りを学んだ彼は、
やがて生きものを殺すことに
快感を覚える。
ある日、谷間の鹿の大群を
皆殺しにした彼は、
最後に小鹿を連れた
牝鹿を射貫く。
牝鹿は彼に
不吉な呪いをかける…。

小説「ボヴァリー夫人」で有名な(私は
まだ読んでいませんが)フローベール。
本作品はフローベールの生地にある
ルーアン大聖堂の
ステンドグラスに描かれている
中世の聖人ジュリアンの生涯に
着想を得たものであり、
綿密な調査と取材から
生まれた作品なのだそうです。

一言で言えば贖罪の物語です。
ジュリアンが受けた呪いとは、
「いつの日か、
おまえはその手で父と母を
殺めることになる」というものです。
彼は結局、数年後に予言どおり父と母を
剣で突き刺してしまうのですが、
その前に罪を償うかのように
命がけで正義のために
戦っているのです。
しかしそれでは「赦し」を得ることは
出来なかったのです。

両親を殺害した後、
彼はさらに「自分の生涯を
他人のために役立てよう」と考え、
激しい流れの大河の土手を整備し、
小舟で旅人を対岸まで
安全に渡す事業を始めます。
これによって彼は本当に罪を赦され、
キリストとともに昇天していくのです。

一度目の行為は正義のためとはいえ、
殺戮には違いなかったのですから
主は微笑まなかったのでしょう。
二度目の贖罪は
弱いものに寄り添うことであり、
これこそが神の意志に
沿うことなのだと考えられます。
この流れは、
同じ百年文庫に収められた
ラーゲルレーヴの「ともしび」にも
通じるところがあります。

ところで、この「贖罪」や
「赦し」についての考え方は、
キリスト教徒でなければ
正しく理解できない部分があります。
父母殺しの大罪を罰として与えるのも
神のなせる業なのか、
最終的に命を失うことでしか
赦されないのはなぜか、
これだけの罪を背負って
なお「聖人」として称えられるのは
なぜか等々、
私にはもう少し勉強しなければ
理解できないことばかりです。

そうしたことも含めて、
私たちとは異なる文化や思想に接し、
理解しようと努めることこそ、
海外の文学を味わう醍醐味です。
グローバルな視点を育てる意味でも、
高校生に薦めたいと思います。

(2020.10.21)

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