音・いい女・離れていく女
「百年文庫005 音」ポプラ社
「台所のおと 幸田文」
病床にある佐吉は、
台所で働く妻の音を聞こうと
寝返りを打つ。
妻・あきは、夫の治らざる
病状を悟られまいと、
気持ちを押しとどめて立ち働く。
しかし、
佐吉はあきの「音」の変化に
気付いていた…。
情景の見える日本語、
それが文士の書く文章です。
でも、音はそれよりも
難しいと思われます。
この三篇は、行間から音が
聞こえてくる作品です。
この百年文庫、全百巻
すべてあるテーマのもとに、
共通性を持った3作品で
編まれています。
本書の一つめの共通点は
もちろん「音」です。
「台所のおと」は題名どおり
全編から音が流れ出ています。
「深川の鈴」の「音」は、
真吉とお糸の
深い部分でつながっている「音」。
「斑鳩物語」の主人公「余」は
終末の部分では機織りの「音」のみで
お道のようすを
うかがい知ることができています。
「深川の鈴 川口松太郎」
作家志望の信吉は、
住み込み先の講釈師円玉から、
気立ての良いすし屋の後家の
お糸との縁談を勧められる。
お糸は二人の子持ち。
気乗りしない信吉だったが、
ここで物書きの
勉強をすればというお糸の提案で
一緒に暮らし始める…。
二つめの共通点は、いい女の登場。
あきは誠実で良妻賢母型のいい女。
お糸は器量よし、気立てよし、
それでいて相手を疲れさせないタイプ。
お道は純朴な娘。
私は三人とも大好きです。
「斑鳩物語 高浜虚子」
急がしけに走ってでたのは
十七八の娘である。
田舎娘にしては
才はじめた顔だちだ。
手ばしこく余の荷物を受取って
先に立つ。
廊下を行っては
三段ほどの段階子を登り
余を導く。
小作りな体に荷物をさげた
後ろ姿が余の心を牽く…。
そして三つめの共通点は、
その女が主人公から離れていくこと。
「台所のおと」は佐吉が病床にあるため、
台所のあきとは常に
ふすま一枚隔てることになります。
「深川の鈴」のお糸は
信吉の才能が開花し始めたところで
きれいに身を引きます。
「斑鳩物語」では「余」とお道が
「直接会話」
→「上から眺める」
→「音だけ聞こえる」と
次第に距離感が大きくなります。
私にとっては
すべて初めて読む作家でした。
充分楽しむことができました。
百年文庫8冊目を読了(2016年、
本書読了段階)。
あと92冊。
92冊も楽しめるなんて幸せです。
(2020.10.23)