「源氏物語 幻」(紫式部)

俗世での穏やかな最後の一年

「源氏物語 幻」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館

最愛の妻・紫の上を失った源氏は、
年が明けても喪に服したまま
悲嘆の淵に沈んでいた。
いよいよ出家を決意した源氏は、
その準備として、
紫の上の手紙をはじめとする
思い出の品々を焼却する。
源氏はしみじみと
人生を振り返る…。

源氏物語第四十一帖「幻」。
物語から源氏が退場するこの帖ですが、
筋書きといったものはありません。
悲嘆に暮れる源氏の一年が、
淡々と綴られているだけです。

一月は
年賀に訪れた人々にも
会わないくらい塞ぎ込み、
二月は
紫の上の愛した紅梅を
世話しようとする三宮の姿に涙し、
三月は
ようやく訪れた先の女三の尼宮の
すげない態度に傷つき、
四月は
花散里と悲壮感漂う歌をやりとりし、
五月は
紫の上の一周忌を
夕霧と打ち合わせては悲愁に包まれ、
六月は
池の蓮の花に
紫の上を思い浮かべて涙に暮れ、
七月は
逢瀬を楽しむ人のないことに悲しみ、
八月は
愛人・中将の君と
紫の上を偲ぶ歌を交わして
物思いに沈み、
九月は
綿で覆われた菊の花を見て
悲しい気持ちになり、
十月は
雲上の紫の上への思いから
空飛ぶ雁に羨望を感じ、
十一月は
孫たちの姿から
過日を思い出し感傷に浸ります。

このように源氏の悲嘆が
延々と続くのですが
、最後の十二月の記述で
読み手に幾分かの救いが示されます。
「その日ぞ出でゐたまへる。
 御容貌、昔の御光にも
 また多く添ひて、
 ありがたくめでたく見えたまふを、
 この古りぬる齢の僧は、
 あいなう涙もとどめざりけり。」
(その日、
 ようやく表に出てきた源氏は、
 その容貌はかつての美しさに加えて
 一段と御光が加わり、
 限りなく美しい。
 その姿に接した老僧は、
 感涙にむせぶのだった。)

仏門に入る以前に
すでに解脱したかのような光源氏。
神々しいまでの情景が目に浮かびます。

長きにわたる源氏の一生を、
華麗なまま終わらせるのではなく、
あえて老境にさしかかった
見苦しい場面を列記し、その後の
さらなる魂の浄化へとつなげる。
ここにも
紫式部の筆の冴えが見られます。

そして、この人間くささの描出こそ、
架空の人物である光源氏を、
読み手に限りなく
近づける効果となっているのです。
千年たった現代でも、
読み手は、光源氏を
実在した人物であるかのように
認識することができているのですから。

劇的な人生を歩んだ源氏の、
なんとも穏やかな
俗世での最後の一年。
源氏の物語を完結させるにふさわしい
本帖です。

(2020.10.24)

Alexas_FotosによるPixabayからの画像

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