「あえて描かないことによって雄弁に物語る」
「源氏物語 雲隠」(紫式部)
愛した女性たちをはじめとする
俗世の思いにすべて決着をつけ、
源氏は仏門に入る。
最愛の妻・紫の上、
許されぬ愛に落ちた藤壺、
不思議な運命で結ばれた
明石の君、
打ちとけることのなかった
葵の上、
そして空蝉、夕顔、朧月夜…。
巻名はあれど物語はなし。
源氏物語「雲隠」の帖です。
なぜ本文がないのか?
千年の間、謎であり、
これからも未来永劫
謎は解かれないのではないでしょうか。
考えられる可能性は
これまでもいくつか指摘されています。
一、「本文は存在していたが
散逸してしまった」、
二、「巻名「雲隠」だけを
後の世の誰かが付けた」、
三、「作者・紫式部が意図的に
本文を書かずに
巻名だけを遺した」。
一について、
この帖だけが散逸する可能性は
低いでしょう。
源氏物語は書かれた当初から
写本に次ぐ写本を重ね、
それぞれの巻にいくつかの版が
存在するくらいです。
成立当初に存在していたとすれば、
書き写してできた本のいずれかが
残されると思うのです。
現在最も可能性が高いと
言われているのが二の説です。
巻名だけでなく、
「雲隠六帖」と呼ばれる後世の補作集
(現代でいう「スピンオフ」的作品集)が
存在するくらいですから。
源氏物語の中の「光源氏の物語」は
やはり「幻」で終わって正解なのです。
「幻」でくどいだけ
源氏の晩年の悲嘆を描出し、
その上で解脱した心境に
到達させているのですから。
この上何を加える必要があるでしょう。
でもその上で、
三の「作者・紫式部が
意図的に本文を書かずに
巻名だけを遺した」のだとしたら
どうでしょうか。
ここまでの帖を振り返ると、
若紫と源氏の初夜や
玉鬘と髭黒大将との結婚等、
「あえて描かないことによって
雄弁に物語る」という手法を
講じている部分が多々あります。
この帖すべてが
「書かれざるもの」であり、
そのことによって読み手に
自らの世界観の中で物語を膨らまさせ、
源氏の生涯をさらに彩りあるものに
させようと考えることは、
十分に可能性のあることなのです。
いや、この問題の結論など
どうでもいいことです。
現に千年後の私たちは、
この巻名だけの「雲隠」から
実に多くのものを
読み取っているではありませんか。
いつも冒頭に掲げている
粗筋紹介の部分には、
まったく想像を膨らませていない
最低限のことのみ記述しました。
この帖にどのような筋書きを描くか。
読み手一人一人に任されていると
考えたいものです。
(2020.10.24)