心を覆っている雲をかき消すような出会い
「大洗の月」(井上靖)
(「姨捨」)新潮文庫
月を見ようという気になり
大洗まできた佐川は、
古道具屋の飾窓の中に、
かつて
父とともに訪ねたことのある
日本画家の坂本紫水の
落款を持つ画を見つける。
曇り空で月の見えなかった
その夜、佐川は再び
その古道具屋を訪れる…。
佐川は東京の
中小企業を経営する初老の男性。
事業は順調に拡大しつつも、
常に漠然とした
「崩壊の予感」を感じています。
時代背景は戦後の復興期
(本作品発表は昭和28年)です。
経済が急成長を見せながらも、
失われていくものの多かった、
変化の激しい時代だったはずです。
本作品は、そんな彼が大洗の町で
心を癒やされるという物語です。
癒やすのは名月ではありません。
古道具屋の主人と
紫水の名を持つ別人画家の二人です。
まず古道具屋・虚仙堂主人。
非常識な夜更け(おそらく十時半頃か)の
訪問客である佐川を快く迎え入れる。
商売としてではなく、
紫水の絵を所望する人物が
現れたことに喜んでいる。
車で佐川を連れて
紫水の家に押しかけに行く。
そして老画家・斎藤紫水。
寝入りばな(十一時過ぎ)に
突然訪れた二人を、
こちらも快く迎え入れ、
三人で月見酒を始める。
忙しい身の上で
仕事を切り上げわざわざ電車で
2時間かけてやってきた大洗。
それなのに曇天で月が見えない。
紫水は自分の知る
高名な画家ではなかった。
もしかしたら偽画家かも知れない。
考えてみると
踏んだり蹴ったりの状況なのですが、
こうして始まった
ささやかな宴と紫水との語らいは、
佐川の心に変化を与えていきます。
「斎藤紫水が、
偽作家であるにしても、
そうでないにしても、
彼こそ生涯を通じて、
亡びの予感の上に坐って、
ここまで生きて来たのではなかったか。
そんな彼の一生ではなかったか。」
佐川の心を覆っていた雲は、
次第にかき消されていくのです。
「佐川が座を立って、
縁側へ出て窓を見上げてみると、
雲はすっかり
消し去られてしまって、
薄青い空の中に
満月が美しく浮かんでいた。」
さて現代は、経済がきわめて低水準の
成長を見せながらも、
世の中の変化だけは
非常に激しい時代です。
佐川以上に
漠然とした不安を抱えている人間は
多いのではないかと思うのです。
心を覆っている雲を
かき消してくれるような
「大洗の月」との出会いを、
誰しもが待ち望んでいる
時代であるともいえるでしょう。
本作品は、現代にこそ
読まれるべき小説だと考えます。
※井上靖作品は
自伝的長編小説と
歴史が関わる長短編小説ばかりだと
思っていたのですが、
こうした短編小説にも
味わい深いものが見られます。
※残念ながら
収録されている文庫本は
すでに絶版となっていて、
入手がきわめて難しい状況です。
私もヤフオクで入手しました。
(2020.10.29)