「城の崎にて」(志賀直哉)

「死」を超克したような心の平穏

「城の崎にて」(志賀直哉)
(「小僧の神様・城の崎にて」)
 新潮文庫

事故による怪我の療養のために
城崎温泉を訪れた「自分」は、
一つ間違えば
死んでいたかも知れないと
振り返る。
ある朝、一匹の蜂が屋根の上で
死んでいるのを見て、
「死」について思いを巡らす。
「自分」は死の静かさに
親しみを感じ…。

志賀直哉の代表作、
いや日本の私小説の代表作といえる
本作品ですが、
初めて読んだ学生時代には、
その文学性の高さを
ほとんど理解できなかったことを
覚えています。
なにせ「死」にまつわる感想ばかりで、
明るくなかったからです。
ここには三つの小動物の「死」と、
それに伴う
「自分」の感情が淡々と綴られています。

一つめは一匹の蜂の死です。
ここでは「死」を
「生」の対極に置きながらも、
しかし「自分」は
「死」を恐れてはいません。
「自分はその静かさに
 親しみを感じた」

二つめは小川で見かけた鼠の死です。
川に投げ込まれた鼠が、
必死に生きようと
もがいている姿から
「死」の恐怖を感じるのです。
「死に到達するまでの
 ああいう動騒は恐ろしい」

三つめは「自分」が偶然殺してしまった
イモリの死です。
投げた石が偶然直撃し、
イモリはあっけなく死んでしまいます。
イモリの偶然の「死」と
自身の偶然の「生」を
比べあわせるのです。
「生きている事と
 死んで了っている事と、
 それは両極ではなかった。
 それ程に
 差はないような気がした。」

末文には
「それからもう、三年以上になる」と
あります。
気をつけるべきは、
本作品は「随筆」ではなく、
あくまでも志賀が創作した
「私小説」であるということです。

自身の心の中にある「死」と向き合い、
それを題材として編み上げ、
自らの死生観を開陳したような小説は
世の中にいくらでもあるでしょう。
志賀自身にも「剃刀」「范の犯罪」等、
そうした短篇があります。
しかし本作品は、
「死」を直視する自分を
一歩離れた時間軸から観察し、
その姿と思考を鋭利な刃物で切り取り、
読み手の前に広げた
細密画のようであり、
極めて特異といえます。
それ故に「死」に対する視線が、
極めて冷静です。
厳しいほど冷徹に「死」を見つめ、
「死」に含まれる恐怖を
超克したかのような
心の平穏が感じられます。

さて、「死」の影を
作品に色濃く反映させた作家
(芥川にせよ太宰にせよ)が
自ら命を絶って
短命に終わったのに対し、
志賀は長寿を全うしました。
あるべき生き方を考えさせられる、
志賀直哉の名作短篇です。

(2020.11.3)

PexelsによるPixabayからの画像

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