暗黒の中に光明を見いだそうとする姿
「恢復期」(堀辰雄)
(「菜穂子 他五篇」)岩波文庫
Y岳の麓にあるサナトリウムに、
肺結核を病む「彼」は入院する。
夜中に行った便所の帰り、
「彼」は自分の部屋を見失う。
自分の病室と思われた
四番目の扉には
「№5」と書かれてあったのだ。
慌てて引き返すと
そこには「№3」の文字が…。
小説「菜穂子」で知られる
堀辰雄の初期の短篇作品です。
「彼」のモデルはもちろん堀自身です。
堀は1931年4月から3か月間、
長野県の富士見高原療養所へ
転地療養をしています。
その後、8月中旬から10月上旬までの
軽井沢滞在中に書き上げたのが
本作品です。
筋書きといえるようなものは
ほとんどなく、
「彼」を一人称に改めれば
随筆となってしまいそうな
私小説風の短篇です。
では、描かれているのは何か?
自分の病室を見失ったのは、
何のことはない、
四番目の部屋だから「№4」だと
思い込んでいただけで、
実際は「№4」は縁起が悪いために
存在していなかっただけなのです。
このように、
病(肺結核、肋膜炎に加えて
脳貧血の発作)とそれに起因する
生活の変化に狼狽える「彼」の姿、
そして「彼」の思考の乱れが
淡々と記されているのです。
「彼」の見た夢についても
生々しい記述が現れます。
「やっとレンズが合い、
絵がはっきり見えだす。
そこには雪のなかに
一人の死んだシナ兵が倒れている。
子供はその凄惨な光景に
思わず目をおおってしまう」
「窓の隙間から差しこんでくる
月影だとばかり思っていた
そこら中の沢山の斑点が、
突然、彼の目に真赤に映った。
おれは何時の間に
こんな血を吐いたのかしら?」
陰惨な雰囲気が
作品全体を覆っています。
それは仕方ありません。
結核は当時は恐ろしい病でした。
感染力が弱く、
発症後も若ければ急激な様態悪化は
起こりにくかったとはいえ、
抗結核薬がまだ普及していなかった
この当時、結核は不治の病であり、
現在のコロナ肺炎同様、もしくは
それ以上の恐怖があったはずです。
しかしながら、「彼」も作者堀自身も、
そこに光明を見いだそうとしています。
第一部の終末では、
快方に向かい日光浴を許可された
「彼」はこう叫びます。
「おお、太陽よ、
おれも昨日までは苦痛を通して
死ばかり見つめていたけれども、
今日からはひとつ
この黒眼鏡を通して
お前ばかり見つめていてやるぞ!」
「恢復期」という表題は、
「生きたい」という堀の切望を
表しているものと考えます。
神はその願いを聞きたもうたのか、
本作品発表後二十年余の執筆期間を
堀に与えました。
しかし肺結核は完治することなく
1953年、四十八歳で
堀はこの世を去ります。
(2020.11.16)
【青空文庫】
「恢復期」(堀辰雄)