「神さまの話」(リルケ)

焦らずつきあいたいと思います

「神さまの話」(リルケ/谷友幸訳)
 新潮文庫

ミケルアンジェロの力が、
さながら葡萄山の香気のように、
神のもとまで、
立ち昇ってきたのでした。
神はじっと辛抱強づよく、
ミケルアンジェロの力が、
ご自身の心のうちを、
いっぱいに、
みたしてゆくがままに
させていました…。
「石に耳を傾けるひとについて」

上に掲げた粗筋を読んでも、
何のことかわからないと思います。
本作品は13もの短篇の集合なのですが、
それぞれに筋書きが
あるわけではありません。
それらはすべて「神さま」にまつわる
童話風の話であり、
リルケ自身と思われる語り手によって、
「いつか子供たちに
話して聞かせるように」という
前提のもとで、
大人に語り聞かせるという形で
書かれているのです。

正直に言います。
実は何を書き表しているのか、
私はほとんど理解できませんでした。
おぼろげに掴めたものの一つが、
「石に耳を傾けるひと」でした。
ミケルアンジェロとはおそらく
イタリア・ルネサンス期の彫刻家・
ミケランジェロ・ブオナローティで
あろうと思われます。
ミケルアンジェロは、
一塊の岩石の中から、
「イエスを抱いている、マリアの
手のわななき」を彫り出します。
そのミケランジェロに神は問うのです。
「ミケルアンジェロよ、
 おまえのなかに、だれがいるのじゃ」

彫刻家は答えます。
「神さま、あなたです」

「神の存在について」、それも
「神は身近なものの中に
すでに存在している」ということを
いいたいのではないかと
推察しています。
13篇すべてがそのように思えるのです。
指貫、民の歌、弦の音、
そうしたものの中に神はいる、
それを子どもたちに伝えて欲しい。
本の語り手は
そのように語りかけてきているように
思えるのです。

しかし、
何か引っかかるものがあります。
それはキリスト教の考え方とは
異なるのではないかと思うのです。
それではまるで
日本の「八百万の神」と同じです。
本来一神教である
キリスト教のスタンスとは
明らかに異なります。

もしかしたら作者・リルケが
想定してる「神」とは
イエス・キリストではないのかも
知れません。
本書はリルケが1899年から
1900年にかけて行った
ロシア旅行での体験をもとに
綴られているとのことです。
広大なロシアの大地に根付いた
素朴な信仰に感銘を受けたとすれば、
欧米のキリスト教信仰とは
異なる形になることは
あり得ることでしょう。

わからなくとも
焦らずつきあいたいと思います。
5年後、10年後に本書を手に取ったとき、
今回わからなかったことが
見えてくることを期待し、
書棚に少しの間、
寝かしておきたいと思います。

(2020.11.17)

Barbara JacksonによるPixabayからの画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA