「耳輪のついた馬」(林芙美子)

林芙美子は貧乏を愛した作家

「耳輪のついた馬」(林芙美子)
(「風琴と魚の町・清貧の書」)新潮文庫

貧しさ故に、
十二歳になるまでに幾度も
引っ越しをした八汐(やしお)。
今また母は、八汐に
鹿児島の祖母の家で
面倒を見てもらえという。
泣く泣く八汐は
汽車で旅立っていく。
しかし祖母の家でも、八汐は
心安らぐときはなかった…。

少女八汐の生い立ちから
十九歳で東京へ出るまでの
貧乏生活を淡々と描いた本作品には、
まさに作者・林芙美子
生き様が現れています。

どのくらい貧乏か?
現代の感覚では
よくわからない部分があるのですが、
本作品は「食べる」場面の描写に、
「貧しさ」がよく表れています。

「膳の上には、
 小さい干魚に醤油がかけてあった。
 八汐は何時かまちの料理店で見た
 海苔巻が食べたいと思った。
 彼女は新聞紙を小さく剪って、
 それに飯を並べ、干魚を入れて
 海苔巻のように
 くるくると巻いて見た。
 だが、八汐の空想した
 海苔巻の味ではなかった。」

八汐六歳のことです。

「或日八汐は、
 道路で二銭玉をひらって、
 城山へ行く道でうどんを食った。
 千杯位も食べてみたいものだと
 思った。」

祖母の家に引き取られた時分で、
八汐八歳です。

「夕べの膳の上には、
 八汐の前にも、
 時として刺身が並ぶ事がある。」

再婚した母の家に戻り、
ようやく人並みの生活が
できるようになった
十四歳のときのことです。

この平穏な生活も長くは続かず、
八汐十八歳の時には
借金を残して義父は急死します。
そして八汐は十九歳で
東京へ出るのですが、
職にありつけず途方に暮れている場面で
物語は終わります。

驚くべきことに、主人公・八汐は
貧しいことを
決して嘆いてはいないのです
(他の林作品でもそうなのですが)。
また、母が再婚し、
生活が安定したときも、
それがそのまま幸せと
捉えてはいません。
林にとって、貧乏=不幸という図式は
成り立っていないのでしょう。
巻末の解説に「林芙美子は
貧乏を愛した作家」とありました。
それはやや言い過ぎの感がありますが、
少なくとも林の書く小説の主人公は、
そして林自身は、
貧乏に屈してはいないのです。

昔も今も、貧困という社会問題は
消えてなくなることがありません。
自分は将来
老いて貧困に見舞われたとき、
八汐のようにたくましく生き抜くことが
できるかどうか…。
甚だ自信がありません。
そのとき林の小説が
心の支えになるかも知れないと思う
今日この頃です。

(2020.11.18)

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