生者と死者は切り離されたのではなく
「ポプラの秋」(湯本香樹実)新潮文庫
ポプラ荘のおばあさんが
亡くなった。
知らせを受けた「私」は、
すぐさま飛行機の手配をした。
ポプラ荘は「私」が子どもの頃に
住んでいたアパートで、
おばあさんはその大家だった。
「私」はおばあさんに
預けていた「手紙」を
思い出す…。
その「手紙」とは、
亡くなった大切な人への手紙です。
おばあさんは自分が死ぬときに
手紙を届けるという約束で、
いろいろな人から「死者への手紙」を
預かっていたのです。
「私」は七歳の時に父親を亡くし、
母親とともにポプラ荘へ
越してきたのでした。
父の死を乗り越えられなかった
幼い「私」は、
自分の思いを父親への手紙に託し、
おばあさんへ預けたのです。
物語の三分の二は、
そうした幼い頃のおばあさん、
そしてポプラ荘の住人との
交流が描かれます。
強面で愛想のないおばあさん、
いつも乱暴な口調の
独身女性・佐々木さん、
妻子と別れて
一人暮らしをしている西岡さん。
それぞれ不器用ながらも
心根の優しい人たちであり、
心の温まるような筋書きが
編み上げられています。
そのような環境の中で、
「私」は十歳になるまでの間、
ポプラ荘で生活し、
次第に心の傷を癒やしていくのです。
しかし、それで終わりではありません。
本作品の肝は、
後半三分の一の部分です。
本作品の冒頭には、
二十五歳になった「私」が、
看護婦の仕事を辞め、
それを母親にも
切り出せないでいることが
ほんの一文だけ書かれてあります。
現在を生きる「私」もまた
影を引きずっているのです。
後半部で明らかにされますが、
彼女の引きずっている影は
まさしく「死の影」でした。
その彼女の心を最後に救うのは、
おばあさんに預けていた
「私」の母の手紙でした。
読み手もまた
「私」と同等の衝撃を受けます。
そして「人の死」について
深く考えさせられます。
「私」は父親の死と
再び向き合うとともに、
母親の姿も再発見していくのです。
七歳の頃の
「私」の心の痛みを和らげたのが、
「私」が書き続けた手紙であり、
二十五歳の「私」を
窮地から助け出したのは、
母親の手紙だったのです。
「私」は人生の危機を二度までも
「父への手紙」によって救われたのです。
そしてそれはおばあさんによって
もたらされているのです。
父親の死が「私」を不安定にする一方で、
「私」を成長させているのも
父親の死の事実です。
生者と死者は切り離されたのではなく、
いつまでも互いにつながっているのだと
思い知らされます。
「死」が身近な生活から
遠ざかりつつある現代ですが、
だからこそ本作品を
中学生に強く薦めたいと思います。
(2020.11.19)