「亡き妻フィービー」(ドライサー)

本作品こそが究極の純粋な恋愛小説

「亡き妻フィービー」
(ドライサー/河野一郎訳)
(「百年文庫066 崖」)ポプラ社

48年間連れ添った妻・
フィービーを
病で亡くしたヘンリーは、
ある晩、月明かりの中に
妻の幻を見る。
以来彼は毎夜、
妻の戻ってくるのを
待つようになる。
ある朝目覚めたとき、彼は
妻が死んでなどいないと
信じるようになっていた…。

ヘンリーは妻がいつものように
口喧嘩の結果、
一時的に家を出たものと思い込みます。
そして近所を探しまわるのです。

現代日本の物差しで
本作品を論じるなら、
よくある認知症老人の話で
済まされるのでしょうが、
時代は百年前、
舞台はアメリカの片田舎です。
近所といっても数マイル
(1マイル≒1.6km)
離れているのです。
七十過ぎた老人が、
おいそれと行き来できる
距離ではありません。

それでも彼は毎日何時間も、
妻の姿を探し求めて歩き回ります。
数年後、体力の衰えた彼は、
家に戻るのも苦痛となり、
食器等の身のまわり品を
小さな包みにして持参し、
さらに数年間、妻を探し回ったのです。

食物を恵んでもらい、
着の身着のまま野宿を続け、
彷徨い歩く。
痴呆老人の徘徊などという
生やさしいものではありません。
その姿は想像を絶するような
巡礼の旅なのです。

そもそも彼は
呆けてなどいなかったはずです。
10年近くにわたって
自力で生き抜いたのです。
立派に生活能力があったのです。
それでも妻が生きていることに
疑いを持たず、
来る日も来る日も妻を探したのです。
それほどまでに
彼の魂は妻を欲していたのです。

二人はお互いに
初恋の相手として巡り会い、
ヘンリー21歳、
フィービー15歳のとき
めでたく結ばれたのです。
以来48年間、
仲睦まじく暮らしていました。
だからこそ、ヘンリーには
妻が死んでしまったとは
どうしても思えなかったのでしょう。

どのような結婚生活を送っていたか、
詳細は書かれていません。
でも、48年もの長きにわたって
連れ添ってきたこと自体が
固く結ばれていた証だと思うのです。

本作品は最後に
悲劇的な結末を迎えます。
にもかかわらず彼の魂は
十分に救われたと思えるのです。
一読しただけでは、もしかしたら
老人の悲しい物語と
捉えられるかも知れません。
しかし私には本作品こそが
究極の純粋な恋愛小説に
思えてならないのです。
大人のあなたにお薦めします。

(2020.11.24)

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