「山椒大夫」(森鷗外)

鷗外が何を言いたいのかよくわからないでいる

「山椒大夫」(森鷗外)
(「森鷗外全集5」)ちくま文庫

「山椒大夫」(森鷗外)
(「山椒大夫・高瀬舟」)新潮文庫

父親を訪ねての旅の途中に、
一家は人買いに騙され、
幼い安寿と厨子王の姉弟は
越後の分限者・山椒大夫に
奴隷として売られる。
安寿は汐汲み、
厨子王は芝刈りの仕事に
明け暮れるある日、
安寿は厨子王を逃がし、
自らは入水する…。

学生の頃、鷗外の主要作品を
一通り読みましたが、
理解できない作品が
いくつかありました。
本作品もその一つです。
それどころか、未だに私は
この作品で鷗外が何を言いたいのか
よくわからないでいるのです。
鷗外が本作品を著した五十三歳という
年齢に追いついたというのに、
全く恥ずかしいかぎりです。

知られているように本作品は、
説経「さんせう太夫」を
もとにした小説です。
説経では最後に厨子王が
残酷な方法での報復を行うのですが、
本作品の場合は
復讐劇にはなっていません。
最終場面は生き別れた母との再会の
感動に重点が置かれているのです。

それどころか、
国守となった厨子王の施策により、
憎むべき山椒大夫は
なお富み栄えているのです。
「国守は最初の政として、
 丹後一国で人の売り買いを禁じた。
 そこで山椒大夫も
 ことごとく奴婢を解放して、
 給料を払うことにした。
 大夫が家では
 一時それを大きい損失のように
 思ったが、このときから
 農作も工匠の業も
 前に増して盛んになって、
 一族はいよいよ富み栄えた。」

権力を得たのですから、
山椒大夫一味のような
非合法的営利組織を壊滅させる方法など
いくらでもあったと思われます。
しかし鷗外は
あえてそういう結末にはしていません。
自身のように人買いにさらわれ、
不当労働行為に従属させられるのは、
その非道に走る人間に
問題があるのではなく、
社会の仕組みに
問題があるということなのでしょうか。

生き別れた母は盲目となり、
姉は自分を逃がした後に
入水自殺をせざるを得ず、
自らは身分を剥奪され
奴隷として扱われた屈辱を、
厨子王はすべて水に流し、
山椒大夫を「赦した」ことになるのです。
鷗外はそれを描くことによって
何を訴えたかったのか?

説経通りの復讐劇を
厨子王に敢行させれば、
それは新たに小説として
発表する意味がなくなります。
近代国家としての産声を上げた
当時の日本の状況に鑑みるに、
鷗外には、私怨を私刑で晴らすような
前時代的な方法など
全く視野の中にはなかったのでしょう。
それよりも恩讐を超えた、
新しい社会のあり方の提言に
意味を見いだしたのかも知れません。

それでもなお、本作品で
鷗外のいいたかったことを
私は十分に理解できていません。
そして本作品が鷗外の名作と
位置づけられている理由が
よく理解できないのです。

いや、わからないものがあるからこその
読書です。
この後、思い出した折に読み返し、
本作品を通じて
思索を深めていこうと思います。

(2020.11.26)

Martin StrによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「山椒大夫」(森鷗外)

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