トンネルの向こうに見え始めたあかり
「斉唱」(原田マハ)
(「星がひとつほしいとの祈り」)
実業之日本社文庫
心を閉ざしてしまった
14歳の娘・唯に
「旅行するからついてきて」と
誘われた先は佐渡島。
体験学習の受け入れ先の一家は
トキ野生復帰プロジェクトという
NPOの代表であり、
自称トキオタクだった。
唯はトキに興味を示し始める…。
不登校をはじめ、
10代で心を閉ざす若者の
何と多いことかとつくづく思います。
本人がもっとも大変なのでしょうが、
その親も難儀しています。
本作品のような母子家庭であれば
なおさらです。
母・梓は妻子ある男性の子を身ごもり、
そのままシングルマザーとなります。
頼るもののない母子家庭なのです。
それが家の中にいるたった一人の家族と
心が通わないのですから、
不安やいらだちは
並大抵のものではないでしょう。
本作品の鍵を握っているのは
トキなのでしょう。
トキの絶滅、そして人工繁殖、
野生復帰のようすが
丹念に描かれています。
説明するまでもなく、
トキは日本国内に
数多く生息していた美しい鳥。
「ニッポニア・ニッポン」という
学名を持つ、日本を代表する鳥です。
平成15年に日本の野生のトキの
最後の一羽が死亡し、
事実上絶滅したことになります。
しかし現在、
中国由来のトキを人工繁殖させ、
野性に還し、日本に根付かせようと
試みられています。
一度その地から失われた種を、
もう一度甦らせる作業は
きわめて困難であるといわれています。
トキオタク一家は、
そんな難しい夢の実現に
情熱を注いでいるのです。
唯は、この一家の
同い年の長男・亮太と交流し、
心を開くきっかけをつかみます。
早朝、亮太・唯・梓の三人が出掛けた
刈り入れ後の水田。
亮太は「こーい、こいこい」と
叫び続けます。
しまいには唯も
それに声を合わせていくのです。
「少年と少女の声は、
遠慮がちに奏でる楽器のように、
最初はてんでにばらばらで、
やがて和音を作った。
梓は、その青くたおやかな斉唱に、
静かに耳を傾けた。」
唯が心を閉ざした詳しい事情は
何も説明されていません。
でも、何かを「失った」ことは確かです。
その「失われたもの」を
取り戻す手掛かりを、
唯は見つけたのでしょう。
亮太と唯の、
再生への願いが重なり合った瞬間です。
問題が解決されたわけではありません。
トンネルの向こうに
あかりが見え始めただけです。
それでも、いやだからこそ、
読み手の心を温める
何かを持った作品です。
原田マハ、やはり素晴らしい
ストーリーテラーです。
(2020.11.27)