「源氏物語 東屋」(紫式部)

実の母が期せずして創った娘・浮舟の悲劇の入り口

「源氏物語 東屋」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館

浮舟の婚約者の少将は、
彼女が継娘と知るや破談にし、
結婚相手を
常陸守の実子の次女へと
乗りかえる。
憤然とした母・中将の君は、
浮舟の異母姉・中の君を訪れ、
彼女の将来を相談するとともに、
彼女を一時的に匿うよう
要請する…。

源氏物語の最後のヒロイン・
浮舟の悲劇が始まる第五十帖「東屋」。
本帖はまだ始まりにすぎません。
匂宮には抱きすくめられ、
薫には否応なく結婚させられ、
しかも翌朝には宇治に誘拐拉致同様に
連れ去られるのですが、
これでもまだ序章です。
読みどころはもちろん豊富なのですが、
本帖では浮舟自身よりも
母・中将の君の
存在感が大きくなっています。
彼女の「結婚観」の変遷に注目します。

「二心なからん人のみこそ、
 めやすく頼もしきことにはあらめ。
 わが身にても知りにき。」

(浮気せずに妻一人を
 愛してくれる人こそ、
 体裁もよく、頼もしい。
 私自身の経験からも確かです。)
浮舟が破談となり、
乳母相手に中将の君がこぼした
愚痴の一節です。
中の君を引き合いに出し、
高貴な男性と結婚しても、
夫方の女性とも関係を持てば
淋しい夜も経験しなくてはならず、
そうした生活は決して幸せとは
いえないと語っているのです。

さらに
「わが身にても知りにき」に続けて、
自分を軽んじ、冷たく突き放したと、
夫・八の宮を悪し様に言い放ちます。
そして思いやりもなく
みっともない人間ではあるが、
自分一人を愛してくれる
常陸守の方がいいのだと、
現夫を持ち上げるのです。
しかしそれが匂宮の姿を
覗き見たことで一転します。

「この御ありさま容貌を見れば、
 七夕ばかりにても、
 かやうに見たてまつり通はむは、
 いといみじかるべきわざかな」

(この匂宮の御姿を拝したならば、
 年に一度の七夕の織姫のような
 お通いでも幸せに思うだろう)
なんと十数年来の自らの結婚観を
一瞬にして否定してしまうのです。
それだけで終わりません。
次に薫の姿を見ることになるのです。

「この御ありさまを見るには、
 天の川を渡りても、
 かかる彦星の光をこそ
 待ちつけさせめ」

(薫君の美しいお姿を
 拝見してしまうと、
 年に一度の逢瀬であっても、
 娘にはこんな立派なお方を
 待ち受けさせてやりたいものだ)

中将の君は根の軽い女性だったのか?
いやいやそうではありますまい。
頑なだった母・中将の君の心さえも
とろけさせてしまうほどの匂宮・薫の
類い希なる容姿のせいなのです。
浮舟の悲劇の入り口は、
じつは実の母・中将の君が期せずして
創り上げてしまったものなのです。
しかしその成り行きは
偶然の要素が排され、
すべてが必然のうちに流れていきます。
そしてそれは作者・紫式部の
緻密なる創造性ゆえのものなのです。

(2020.11.28)

StockSnapによるPixabayからの画像

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