「わたし」もまた墜落した存在
「空の飛びかた」
(メッシェンモーザー/関口裕昭訳)
光村教育図書
ある日の散歩中、「わたし」は
一羽のペンギン「やつ」と出会う。
「やつ」は墜落したのだという。
そして「やつ」は大真面目で
空を飛べると
思い込んでいるのだ。
「わたし」は「やつ」を
家に住まわせ、
飛べるよういろいろな手段を
講じるが…。
素敵な絵本に出会いました。
絵本といっても、
ほんの僅かの彩色の施された
素描画にすぎません。
ペンギン「やつ」も写実的で
決してかわいらしくなく、
「わたし」に至っては
むさ苦しいおじさんです。
最後にほんのちょっとのきっかけで
本当に飛べるようになるという、
筋書きも読み手によっては
安直と感じられる可能性があります。
しかしなぜか
心に響くものがあるのです。
一つはペンギン「やつ」の愚直な姿です。
自分の身体の構造が
飛ぶことに適していないと
認めているにもかかわらず、
「自分は飛べるはず」と思い込む。
そして飛ぶために
ありとあらゆることを試みる。
その健気な姿がいじらしいのです。
考えてみれば、
私たちの身のまわりから
「努力」という行為が
失われつつあります。
教育現場でも
競争が避けられるとともに、
子どもの自主性を
尊重することが重視され、
以前のように「努力」を求めることが
難しくなりました。
漫画の主人公でさえ、
かつてのように「修行」などせずに
才能を開花させ、
自己実現を図っていきます。
「やつ」の姿は、現代日本では
失われつつあるものなのです。
だからこそ「やつ」の姿は、
私の眼にとても眩しく映りました。
もう一つは「わたし」の存在です。
ペンギンのパートナーが
なぜ子どもではないのか?
なぜ中年の男なのか?
絵から推察するに、
「わたし」には家族がいないようです。
「わたし」以外の人間が登場しません
(食事も「わたし」が準備しています)。
「わたし」は無精髭を生やし、
服装も粗末です。
読む限り四六時中「やつ」に
つきあっているのですから、
仕事もまともについていないことが
考えられます。
「わたし」もまた飛ぶことができずに
墜落した存在なのでしょう。
仕事を解雇されたのかも知れません。
奥さんに逃げられたのかも知れません。
そんな「影」を宿している面影なのです。
だからこそ
飛ぶことを信じている「やつ」の挑戦を
信じることができたのでしょう。
「やつ」が仲間のペンギンと
悠々空を飛んでいく場面で
物語は締めくくられます。
それを見送る「わたし」の後ろ姿は
心なしか寂しさを湛えています。
でも、描かれざるその後で、
「わたし」も
飛べるようになっていることを
予感させる雰囲気もまた
潜んでいるように感じます。
子ども向けではありません。
女性向けでもありません。
大人の男性こそが読むべき
純度の高い絵本です。
騙されたと思って
手に取ってみてください。
(2020.12.4)
【関連記事:素敵な絵本】
【絵本はいかがですか】
【今日のさらにお薦め3作品】