「源氏物語 浮舟」(紫式部)

現代劇のような感覚に満ちている帖

「源氏物語 浮舟」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館

宇治に匿われている浮舟を
見つけ出した匂宮は、
薫になりすまして浮舟に迫り、
強引に関係を結ぶ。
匂宮の激しい情熱的な愛情に
身を任せる浮舟だが、
同時に薫の献身的で
穏やかな愛をも拒みきれない。
その板挟みに悩んだ浮舟は…。

源氏物語第五十一帖「浮舟」。
ついに悲劇が浮舟を襲います。
比較的長めの帖であり、
本帖だけで一つの中編小説として
完成しています。
そしてそれがまるで現代劇のような
感覚に満ちているのです。

一つは道ならぬ恋に落ちた
匂宮・浮舟両者の感覚についての
作者の解説です。
浮舟の容貌について
「かの対の御方には劣りたり、
 大殿の君の盛りに
 にほひたまへるあたりにては、
 こよなかるべきほどの人」

(中の君の美しさには
 かなわない上に、
 六の君の花の盛りのような
 美しさには比ぶべくもない)と
述べています。
実は浮舟という女性は、
源氏物語に登場する女性の中では
特別に美しいわけではないのです。
それなのになぜ匂宮が
激しい恋に落ちたかというと、
「たぐひなう思さるるほどなれば、
 また知らずをかしとのみ見たまふ。」

(浮舟を最高の女と
 思い込んでいるため、
 こんないい女はいないとばかりに
 感じている)

浮舟も同様です。
「大将殿を、いときよげに、
 またかかる人あらむやと見しかど、
 こまやかににほひ、
 きよらなることは
 こよなくおはしけりと見る」

(薫をなんていい男なんだと
 思っていたが、
 匂宮の方がきめ細かく
 艶のある肌をしていて、
 ずっと美男だと見るようになった)

「恋は盲目」ということなのですが、
「千年も前から若い男女の恋愛は
そうしたものだ」と
結論づけるわけにはいきません。
なぜならこの時代の(それ以降も
そうなのですが)結婚は、
そうした恋愛とは
切り離されていたからです。
ほとんどは政略的な結婚であり、
浮舟の当初の婚約者である少将が
その最たる例です
(少将は浮舟の美貌になど
見向きもせず、
常陸守の実子である妹に
乗りかえています)。
匂宮と浮舟の、
この「恋は盲目」状態は、
当時としては異例だったのではないかと
考えられるのです。

もう一つは浮舟の裏切りを知ったときの
薫の感情です。
「やむごとなく思ひそめはじめし
 人ならばこそあらめ、なほ、
 さるものにておきたらむ。
 今はとて見ざらむ、
 はた、恋しかるべし」

(正妻として迎えようと
 考えていた人ではないのだから、
 このまま隠し妻にしておこうか、
 このまま会わなくなるのも、
 恋しいものだ)。
極めて冷静に、
かつ打算的な感情が働いています。
まるで現代の不倫劇でも
見ているかのようです。

先代・光源氏は恋多し男でありながらも、
決して女性を
このように扱ったりはしていません。
光源氏没後の源氏物語は、
こうした現代に近い物語の要素が
随所に見られ、この浮舟が
その頂点となっているのです。

激しい運命に翻弄され、
木の葉のように浮き沈みしていく浮舟。
彼女の物語は
一体どんな結末を迎えるのか。
残り三帖、目が離せません。

(2020.12.5)

Alemko CoksaによるPixabayからの画像

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