「山の雪」(高村光太郎)

澄み渡った青空、新たな出立を予感させる随筆

「山の雪」(高村光太郎)
(「百年文庫096 純」)ポプラ社

わたしは日本の北の方、岩手県の
山の中にすんでいるので、
十一月ごろからそろそろ
雪のふるのを見ることができ、
十二月末にはもういちめんに
まっしろになったけしきを
まいにち見る。
このへんでは、
平均一メートルくらいしか…。

この記事が公開されている
午前五時時点では、
まだ陽が昇っていません。
今年の初日の出までもう少しです。
カーテンを開けて
様子を見ているのですが、
初日の出を見られるでしょうか。
私の住む地域ではなかなか
初日の出を拝むことはできません。
雪国ですから。

それにしてもこの冬は
ここまでなんと雪の多いこと。
毎日が除雪作業です。
除雪は何の生産性もない、
時間と体力のむなしい消費としか
私には感じられません。
私にとって雪に対する印象は
良いものではないのです。

でも詩人高村光太郎は違います。
私と同じように
雪深い岩手の山村にありながら、
「わたしは雪が大好きで、
 雪がふってくると
 おもてにとび出し、
 あたまから雪を白くかぶるのが
 おもしろくてたまらない」

書き出しから極めて楽観的です。

訪れる人もない雪の中の一軒家です。
だからこそでしょうか、
そこからうかがえる自然の様子、
特に小動物たちの生態が
細やかに書き綴られています。
キツツキの発する音、
ウサギの特徴ある足跡、
キツネの意外な力、…、
自然を愛する眼がなければ
気付かないことばかりです。
高村は何と家中を徘徊するネズミにさえ
愛情を注いでいるのです。

雪景色をこれほどまで
美しく描出した随筆、
そして生きとし生けるものを
ここまで愛情のまなざしで見つめた
作品を、私は他に知りません。

さて、高村がかの地に移り住んだのは
1945年の秋(つまり終戦直後)のこと。
住居としたのは風雪が忍び入るような
粗末な小屋だったそうです。
「典型を容れる山の小屋、
 小屋を埋める愚直な雪、
 雪は降らねばならぬやうに降り、
 一切をかぶせて降りにふる。」

(「典型」高村光太郎)
ここには明るさや前向きさは
微塵も感じられません。
おそらくは独居自炊の生活を始めた
当時の心境を綴った詩と思われます。
実は高村が寒村での
不自由な生活を希望したのは、
戦時中に戦意高揚の
国策詩を書いたことへの
深い贖罪の気持ちからなのです。

本作品「山の雪」は、心の傷が
十分に癒やされたあとの高村の、
澄み渡った青空のような随筆です。
翌年高村は新たな彫像制作を決意、
帰京します。
いわば高村の芸術家としての
新たな出立につながった作品と
見ることができるのです。

2021年の幕開けにあたり、
読み返してみました。

(追伸)
新年明けまして
おめでとうございます。
今年も素敵な本との出会いを求め、
そしてブログという
コミュニティの中の
素敵なみなさんとの出会いを求め、
書き綴っていきたいと思います。

(2021.1.1)

【青空文庫】
「山の雪」(高村光太郎)

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