犯した「罪」と受けている「罰」の本質とは
「罪と罰」
(ドストエフスキー/亀山郁夫訳)
光文社古典新訳文庫
かねてからの計画通り、
高利貸しの老女・アリョーナを
殺害したラスコーリニコフは、
不意に帰宅してきたアリョーナの
義妹・リザヴェータをも
手にかける。
運良く逃走できた
ラスコーリニコフだったが、
それ以後、自白衝動に駆られ…。
何年も前から読みたいと思っていた
ドストエフスキーの長編大作「罪と罰」。
この「静かな年末年始」を利用して
ようやく読むことができました。
大長編であるにもかかわらず、
あまりの面白さに頁をめくる手を
止めることができませんでした。
本作品は第1部から第6部、
そしてエピローグからなる構成です。
本書第1巻は
第1部と第2部を収録しています。
第1巻を一言で言うならば、
「超一級の犯罪小説」でしょうか。
逡巡しながらも計画を実行に移し、
しかも殺す予定のなかった
リザヴェータまで殺害してしまった
ラスコーリニコフ。
彼はその後、殺人が露見する恐怖、
道を踏み外した恐怖、
殺人者として
後ろ指指されることへの恐怖、
幻覚、自白の衝動などに
苦しむこととなるのです。
この主人公・ラスコーリニコフの
犯罪者心理こそ、
最大の読みどころとなっているのです。
では彼はどのように苦しんだか?
長い眠りから覚めた彼は、
血のついた衣服の処理や
盗んだ金品の隠匿を考え、
その重大さに慄きます。
「もうはじまってるのか、
ほんとうにもう、
罰がはじまってるってことか?」
その後、彼は
未払いの家賃の督促状を受け取りに
警察署に出向くのですが、
そこで署長と副所長のやりとりを
耳にしただけで卒倒してしまいます。
「捜索だ、捜索だ、
すぐに家宅捜索がはじまるぞ!」
家宅捜索を恐れた彼は、
証拠の品々一切(奪った金品
すべてを含む)を捨て去り、
陰鬱な気分に飲み込まれます。
「自分で自分をさいなみ、
苦しめながら、自分でも
何をしているかわからない」
さらに彼の恐怖は続きます。
心配して集まった友人たちの会話にも
恐怖し、極度の興奮を示します。
レストランでたまたま居合わせた
警察署の事務官・ザメートフと
事件について自ら論戦を仕掛けます。
ついには事件現場に
ふらふらと立ち寄る始末です。
次から次へと
激しい自白衝動に襲われるのです。
彼の独白にあるとおり、
「自分で自分を苦しめている」のです。
さてここで考えなければなりません。
これだけ激しい精神的苦痛に
襲われているラスコーリニコフの、
犯した「罪」と受けている「罰」の
本質とはそもそも何なのか?
もちろん「罪」は
二人の人間を殺害したことであり、
「罰」はそれによって自身が
責め苛まれていることなのでしょう。
その苦しみを考えると、
本書は「超一級の犯罪小説」として
成立しています。
しかしそれは
表面的なものにすぎません。
なぜならラスコーリニコフの
犯罪の動機は、
実は次の第2巻(第3部)で
はじめて登場するからです。
それによって彼の「罪」と「罰」は
別の形へと変化してくるのです。
むしろそこから本作品の深い主題が
姿を現しはじめるのです。
第1巻は、単なる序章にすぎません。
(2021.1.11)