「たき火」(国木田独歩)

その格調高く情感豊かな日本語に圧倒されます

「たき火」(国木田独歩)
(「武蔵野」)新潮文庫

この寒き夕まぐれ、
わらべらの願は
これらの獲物を燃さんことなり。
赤き炎は彼等の狂喜なり。
されど燃ゆるは枯草のみ。
燃えては消えぬ。
煙のみ徒にたちのぼりて
木にも竹にも
火は容易燃え付かず。
げに今まで燃え付かざりし…。

独歩は自身の処女作を
「源叔父」と見なし、
一般にもそのように
理解されているのですが、
「源叔父」が明治三十年発表に対し、
本作品はその前年
明治二十九年発表ですから、
こちらが第一作となります。
文語体ではあるものの
比較的読みやすく、
その格調高く情感豊かな日本語に
圧倒されます。

夕暮れ時の浜辺に子どもたちが集まり、
たき火をしようとするが、
火はなかなかつかない。
そのうち帰宅を促す声が聞こえ、
子どもたちはみな帰ろうとする。
振り返ると火が起こっていたが、
そのまま家路についた。
そこへ年老いた旅人が通りかかり、
暖をとる。
このように筋書きは単純なものです。
しかしそこに綴られた旅人の描写こそ
本作品の
味わいどころとなっているのです。

「炎は赤くその顔を照らしぬ。
 皺の深さよ。眼いたく凹み、
 その光は濁りて鈍し。」
「いたく古びて
 所々古綿の現はれし衣の、
 火に近き裾のあたりより
 湯気を放つは、
 朝の雨に霑ひて、
 仍ほ乾すことだに
 得ざりしなるべし。」

その旅人は
どのような年月を過ごしてきたのか。
おそらくそこには悲しい物語が
潜んでいることを感じさせます。
そうでなければこのようなあてのない
旅になど出ていなかったでしょう。

「十とせの昔、
 楽しき炉見捨てぬるよりこのかた、
 未だこの様なるうれしき火に
 遇はざりき。」

何らかの事情があって
家庭を捨てたであろうこと、
そしてそれから十年もの月日が
経過していることを
さりげなく伝えています。
そして辛く苦しい旅を続けているで
あろうことを感じさせます。

「昔の火は楽しく、今の火は悲し、
 あらず、あらず、
 昔は昔、今は今、
 心地よきこの火や。」

しかし、老人にとって、
過去の出来事は自身の中で
昇華されつつあることが窺えます。
長い時間が老人を癒やし、
今またこのたき火が、
老人の身体と魂を
温めているのでしょう。
「翁が心、
 今一たび童の昔にかへりぬ。」

巻末の解説には、
新婚の妻とともに
一冬を過ごした逗子で、
おそらく実際に見たであろう
子どもたちのたき火の風景に、
一人の旅の孤老を創造し、
重ね合わせた作品である旨が
書かれてあります。
決して多くのことを
書いていないにもかかわらず、
限りなく多くのことが伝わってくる
作品です。

この冬、日本列島は記録的な寒波に
見舞われています。
せめてこのような作品で
心を温めるのも一興かと思われます。

(2021.1.14)

Chris AramによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「たき火」(国木田独歩)

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