深い主題をいくつも内包している文学作品
「裏庭」(梨木香歩)新潮文庫
人の住まなくなった
古い洋館の中で、
照美はおじいちゃんから聞いた、
「裏庭」への入り口となっている
大鏡を見つける。
「アイル・テル・ユウ」という
声とともに
鏡から湧き出した霧は、
照美を包み込む。
照美はその霧の中へと
踏み出す…。
主人公の女の子・照美が、
鏡の奥の異世界へと入り込み、
冒険をし、内面的な成長を遂げて
現実世界へ帰還する。
本作品の表面的な部分だけ受け取ると、
単なるファンタジー小説としてしか
捉えられないと思います。
実際本作品は
第一回児童文学ファンタジー大賞
受賞作品ですから。
しかしライトノベルに多く見られる
安っぽい「ファンタジー」では
ありません。
人間の生き方・在り方に関わる
深い主題をいくつも内包している
立派な文学作品なのです。
登場人物の関係がやや複雑であるため、
まずはその一覧を。
【登場人物】
照美(テルミィ)
…主人公の小学生の女の子。
異世界「裏庭」に招かれる。
純
…照美の双子の弟。
幼くして亡くなる。
さっちゃん(幸江)
…照美の母。
母に愛されなかった経験を持ち、
それがトラウマとなっている。
徹夫
…照美の父。一見家庭に無関心。
レイチェル
…洋館にかつて住んでいた。
英国在住、来日する。
レベッカ
…レイチェルの妹。
「裏庭」に取り憑かれる。
マーチン
…レベッカの夫。
レベッカの魂を追って洋館へ。
綾子
…照美の友達。
丈次
…綾子の祖父。照美がなつく。
レイチェルの幼馴染み。
スナッフ
…「裏庭」でテルミィとともに行動する。
純粋なファンタジーを
期待して読んだ方が
おそらくは失望するであろう部分は、
結末です。
ぎくしゃくした親子関係が
この一件で解決するのかと思えば、
そうではありません。
幸江は、行方不明となっていた照美が
現実世界へ戻ってきても
抱きしめるわけでもなく、
父親を探しに駆け出します。
「ママと自分は
はるかに遠い場所にいるんだ」。
しかし照美はそれを
冷静に受け止めているのです。
そして自分は自分であり、
家族のために何かを頑張る必要の
ないことに気付いていきます。
それこそが真の自立であり、
成長だと思うのです。
かと言って幸江が冷たい女性と
いうわけではありません。
自らもかつて母親から愛されず、
それ故に子どもの愛し方が
わからないだけなのです。
徹夫もまた愛情を
表面に出すタイプではありません。
照美はそうしたことを
すべて受け入れ、
一段高いところから両親を見つめ、
新しい関係を築いていくことが
予想されます。
そして両親それぞれもまた
自らを振り返り、
人間的な成長を遂げるであろうことも
示唆されているのです。
一方で、洋館の持ち主である
老婦人・レイチェルと
その幼馴染みの丈次は、
約50年ぶりに再会し、
少年少女時代の心に戻って
「裏庭」へと足を踏み入れます。
そこで本作品は幕を閉じるのです。
老いた二人は
幼い心を取り戻すことによって、
かつてやり残したことを果たすのです。
これもまた一つの成長と言えます。
生と死の問題、
祖母・母・娘の三代にわたる
関係の因縁とその解消、
日本と西洋の自然観の相違、
人間の深層心理とそこに潜む闇、等々、
切り口には事欠かない作品です。
今回十年ぶりに再読し、
本作品の重層的構造の巨大さを
改めて感じるとともに、
その文学的主題の多様さと深さに
驚いた次第です。
ところが梨木作品の中では
今ひとつ人気の薄い作品でもあります。
おそらく「西の魔女が死んだ」や
「りかさん」の世界を
期待して読んだ人たちの多くが、
「期待外れ」と感じているのではないかと
思われます。
しかし読むたびに
いろいろな顔を見せる作品であり、
紛れもなく名作です。
十年後に再読したいと思っています。
そのとき本作品が
私に何を語りかけてくるのか、
今から楽しみです。
(2021.1.27)