感染症の時代をしたたかに生き抜くために
「仮面」(森鷗外)
(「森鷗外全集5」)ちくま文庫
医学博士・杉村のもとに、
医学生・山口栞の姉が訪ねてくる。
検査結果について
「結核ではあるまいか」と
不安に思ってのことだった。
杉村が心配のない旨を伝えるが、
山口本人は
杉村が席を外した折に、
自分の検査結果を覗き見る…。
もはや過去の病気となってしまった
「結核」。
「結核菌」による慢性感染症であり、
現在のコロナ・ウイルス同様、
飛沫により感染が拡大します。
その感染力こそ
現代のコロナほどではないにせよ、
結核は明治の時代(本作品の発表は
明治四十二年)では
死亡率の非常に高い病気であり、
「不治の病」と見なされていたのです。
自分の検査結果を覗き見たら
結核だった。
この学生・山口の受けた衝撃は、
当然、現代でコロナ陽性を告げられる
その幾層倍も
大きかったに違いありません。
その山口に、
医師・杉村は何と声をかけるか?
十七年前の標本写真
(おそらくは病理組織の
顕微鏡用プレパラート)を見せ、
自らがかつて結核に冒され、
そこから生還したこと、
そして誰にも告げずに
孤高の中で自らを治療し、
現在にいたったことを
話し始めるのです。
さらにニーチェの哲学を引用し、
こう語りかけます。
「あの(ニーチェの書物)中にも
仮面ということが度々云ってある。
善とは家畜の群のような人間と
去就を同じゅうする道に過ぎない。
それを破ろうとするのは悪だ。
善悪は問うべきではない。
家畜の群の凡俗を離れて、
意志を強くして、
貴族的に、高尚に、寂しい、
高い処に身を置きたいというのだ。
その高尚な人物は
仮面を被っている。
仮面を尊敬せねばならない。
どうだ。
君はおれの仮面を尊敬するか。」
周囲に漏らして同情を買ったり
心配をかけたりするのではなく、
自分の命を自分で引き受け、
すべてを責任持って処理する。
その孤高な姿勢を、
鷗外は杉村医師の口を借りて
表したのだと考えます。
物語には、
病院敷地内で転落事故を起こした職人が
救急搬送されて亡くなる様子が
挿入されています。
健康な人間であっても、
いつ命を落とすかわからない、
だからこそ、
病に悲観するのではなく、
生に固執し、
命を生き抜くことの大切さをも
鴎外は訴えているのです。
現代のコロナはさすがに
「誰にも告げず」というわけには
いきませんが、
その病を正しく恐れ、
正しく対処して生活していくことこそが
大切なのであり、
それは明治も現代も
全く同じなのだと思います。
人間の歴史は感染症の歴史でもあり、
感染症の脅威は
この頃迫ってきたものでは
ないのだということを
改めて感じさせられます。
感染症の時代をしたたかに生き抜く
よすがとしたい作品です。
(2021.2.4)