明日を信じようとしていたかのような太宰の心境
「薄明」(太宰治)
(「グッド・バイ」)新潮文庫
空襲によって
東京を焼け出された「私」は、
妻の実家のある
甲府へと疎開する。
実家には妻の妹が
一人で住んでいた。
気を落ち着かせる間もなく、
甲府もまた爆撃される。
そんな中、
娘が悪性の結膜炎にかかり、
失明するかも知れず…。
太宰治の私小説です。
私小説ですが、
創作らしき部分は見当たりません。
随筆といってもいいのではないかと
思われます。
「家を失う」ことは、
現代であれば大変な惨事なのですが、
戦時中はそうしたことが
数知れずあったのでしょうから、
戦争がいかに非人道的であるかが
わかります。
命からがら「私」一家は
甲府へと逃げ延びるのですが、
追い打ちをかけるように
長女が結膜炎にかかり、
失明の危機が訪れるのです。
空襲によって医療施設も焼失すれば、
十分な手当も受けられないのですから。
ここから不幸の物語が
始まるのかと思うと、
至って明るい筆致で筋書が進みます。
最後には娘の治療の目処も立ちます。
表題にもある「薄明」は、
不幸の時代に僅かに兆す
幸福の予感と捉えることができます。
「私」が「薄明」と感じているで
あろうものは次の通りです。
①東京・甲府と
二度の空襲に遭いながらも
一家全員生き延びていること。
②空襲前に家の庭に埋めたり
池の水に沈めたりした家財道具
(といっても茶碗程度のもの)が
十分に使用可能であったこと。
③妻の妹のつてを頼って、
一家の落ち着き先(十畳一間の
間借りなのですが)が
見つかったこと。
④長女の失明が免れそうであること。
どれもこれも「幸福」とは
いいかねるものばかりです。
不幸の連続の中に、
僅かに見いだした
光明に過ぎないのです。
それでもそれらを「薄明」と捉え、
明日を信じようとしていたかのような
太宰の心境が読みどころです。
筋書きは明るい雰囲気を湛えて
幕を閉じています。
「ね、お家が焼けちゃったろう?」
「ああ、焼けたね。」と
子供は微笑している。
「兎さんも、お靴も、
小田桐さんのところも、
茅野さんのところも、
みんな焼けちゃったんだよ。」
「ああ、みんな焼けちゃったね。」
と言って、やはり微笑している。
本作品は昭和二十一年の発表
(執筆はそれ以前、
雑誌掲載は行われず、
単行本に収録された)です。
戦時中に見つけた「薄明」を、
本当の大きな「明かり」にすることなく、
その僅か二年後、
太宰は自ら命を終えることになります。
(2021.2.17)
【青空文庫】
「薄明」(太宰治)