「人魚の嘆き」(谷崎潤一郎)

思い浮かべるのは「秘密」、そして「パノラマ島奇譚」

「人魚の嘆き」(谷崎潤一郎)
(「人魚の嘆き・魔術師」)中公文庫

昔日の南京。
若くして莫大な財産を
受け継いだ「貴公子」は、
放蕩に放蕩を重ねるが、
次第に飽きが来て、
さらなる刺激を
求めるようになる。
ある日、南蛮の商人が訪れ、
珍しいものを売りたいという。
持参したのは「人魚」だった…。

谷崎潤一郎
若き日の異色作「人魚の嘆き」。
なんとも怪しい美の世界が
広がる作品ですが、
再読して思い浮かべてしまうのは、
同じ谷崎の作品「秘密」、そして
江戸川乱歩「パノラマ島奇譚」です。

「私の心はだんだん「秘密」などと云う
 手ぬるい淡い快感に
 満足しなくなって、
 もッと色彩の濃い、
 血だらけな歓楽を
 求めるように傾いて行った。」

谷崎の「秘密」の最後の一文です。
「手ぬるい淡い快感に
満足しなくなっ」たとき、
その人間の行き着くところはどこか?
当時の日本人の「私」であれば、
犯罪まがい(犯罪そのもの)の
「血だらけな快楽」ということに
なるのでしょうが、
舞台を過去の中国に移し、
主人公を金の力で何でもできる
「貴公子」に置き換えたのが
本作品なのでしょう。
「秘密」は明治四十四年、本作品は
その六年後の大正六年発表です。
谷崎はその六年間、
ずっと「私」の「行き着く先」を
考えていたのかも知れません。

さて、
「貴公子」は多くの財産をつぎ込んで
手に入れた「人魚」をどうしたか?
人魚の美しさに魅了されたのは
もちろんですが、最終的には
欧州の海に放してやるのです。
本来の海に戻った人魚の見せた一瞬の、
そして何物にも代えがたい美しさ。
谷崎の魂の深奥にあった
欧州礼賛の精神と、
限りない美への憧憬が結実したような
結末となっているのです。

しかも人魚という
いわば半裸の女性を登場させながら、
直裁的な官能描写を一切使わず、
究極の耽美を描き出した谷崎の筆致は、
谷崎文学の一つの頂点を成していると
言っても過言ではないでしょう。

「貴公子」と同様に、莫大な富を使って
この世の楽園を建設した男の物語が、
乱歩の「パノラマ島奇譚」
(昭和元年発表)です。
乱歩がこの作品を構想した意識化には、
本作品の存在があったのではないかと
私は推察しています(調べてみると
「金色の死」に直接的な影響を受けたと
あったのですが)。
そしてこの作品は、
谷崎の構想した「私」の、
別の形の「行き着く先」を
模索したようにも感じられます。
何よりも、パノラマ島には
人魚(人間の美女が扮した偽物)が泳ぐ
水槽が登場しているのですから。

谷崎が本作品を経由して
「行き着い」たのは、「春琴抄」といった
究極の女性崇拝の世界でした。
その一方で乱歩が
本作品から「パノラマ島奇譚」への
延長線上に「行き着い」たのは、数々の
「血だらけな快楽」そのもののような
猟奇的乱歩世界でした。
「秘密」を始点とした谷崎と乱歩、
両者の創作の方向性が分かれていった
分岐点にあたる
作品のような気がします。

(2021.2.20)

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

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