全編これ妖しい谷崎大魔術
「魔術師」(谷崎潤一郎)
(「人魚の嘆き・魔術師」)中公文庫
初夏の夕べ、
「彼の女」に誘われるがまま、
「私」は公園へ出かける。
物好きな「私」が、
夢にも考えたことのない、
破天荒な興業物が
あるというのだ。
「彼の女」は誘う。
それはこの頃公園の池の汀に
小屋を出した、
若く美しい魔術師です…。
前回取り上げた「人魚の嘆き」以上に
妖しい世界を創り上げた
谷崎潤一郎初期の傑作です。
「魔術師」という言葉の雰囲気からして
何をするのかわからない
怪しい雰囲気が漂っています。
その魔術師が行う「魔術」は
いわば「変身魔法」です。
人間を別のもの
(鳥にでも虫にでも獣にでも、
もしくは如何なる無生物にでも)に
変化させるという、
原題の「イリュージョン」でさえも
真っ青になるような魔術です。
でも現実的に考えると
催眠術の類以外には考えられず、
それだけを切り取れば、
いかに豊かな表現描写を行ったとしても
笑いを誘うだけにしかなり得ません。
谷崎は作品全体で、
あたかも一つの「魔術」のように
読み手を幻惑させていきます。
谷崎大魔術①
全編これ夢の中のような構造
どこの国のどの街なのか
謎に包まれた背景設定、
「私」と恋人であるはずの
「彼の女」の不可解な言動の数々、
すでに狂乱の坩堝と化している
魔術会場のある公園、
次から次へと妖しげな描写が
連続します。
難解な漢字の言葉も意図的に配置され、
読み手の意識は現実を次第に離れ、
谷崎の拵えた異空間へと
誘われるのです。
谷崎大魔術②
すべての人間を魅了する魔術師
魔術師の正体は不明、
いや性別すら定かではないのです。
それでいて「超凡の美貌」を
備えているのです。
女性から見れば絶世の美男、
男に云わせたら曠古(こうこ)の美女、
「艶冶な眉目と
阿娜(あだ)たる風姿とに
心を奪われ、
いつまでもいつまでも恍惚として、
眼を睜らずには
居られませんでした」。
魔術師を正体不明の神がかり的存在に
仕立て上げることにより、
読み手の意識は現実を着実に離れ、
谷崎の組み上げた別次元へと
連れ去られるのです。
谷崎大魔術③
自ら魔術の被験者となる「私」
「私」もまた誘惑に駆られて
その魔術の被験者となります。
「私」が希望したのは
なんと「半羊神」(半人半獣、
上半身は人間(裸体)、
下半身は羊(毛むくじゃら、足は蹄)、
山羊のような角を持つ)。
主人公があえて異様なものへの
変身を希望することにより、
読み手の意識は現実を完全に離脱し、
谷崎の設計したカオス世界へと
拉致されていくのです。
谷崎大魔術④
「彼の女」も変化、「私」と対峙
「私」が被験者となったのは、
魔術師に心を惹かれたため。
それは恋人である「彼の女」への
背信行為にあたります。
嘆く「彼の女」もまた
「半羊神」への変化を希望します。
「そうして、私を目がけて
驀然(ばくぜん)と
走り寄ったかと思うと、
いきなり自分の頭の角を、
私の角にしっかりと絡みつかせ、
二つの首は飛んでも跳ねても
離れなくなってしまいました。」
こうした奇っ怪な行動を
とらせることにより、
読み手の意識は現実すら完璧に忘却し、
谷崎の創出した無限宇宙に放り込まれ、
もはや脱出不可能となるのです。
全編これ妖しい世界の連続です。
これが谷崎大魔術なのです。
現代に生きる私たちもまた、
谷崎大魔術の魅力を味わい、
その虜となりましょう。
(2021.2.27)