瀬谷老人の見つけた「市井の人としての生き方」
「厚物咲」(中山義秀)
(「日本文学100年の名作第3巻」)
新潮文庫
瀬谷が展覧会に出品した
片野の菊は、希有の名花として
好事家連を驚倒させた。だが、
瀬谷は彼の残した美しい菊と、
彼の狂気じみた
生き方を比べあわせ、
ある思いに達する。
片野の生涯は
同じ人間の生涯にしても
余りに凄じすぎる…。
前回は、本作品について、
主人公・片野老人に焦点を当てて
考えてみました。
しかし本作品において
それでは片手落ちになりかねません。
語り手的役割である瀬谷老人の視点から
片野老人を捉えることこそ
大切となります。
片野と瀬谷、二人の違いは何か?
冒頭部分にこんな一文があります。
「片野は瀬谷と同年でありながら、
頭髪はまだ若者のように黒い。
面長な顔の皮膚は
品よくつやつやと輝いている。
そして眼鏡をかけずに
細い活字の新聞を、
いつまでの根気よく
読み続けていることが出来るのだ。
四十代の頃と片野は
ほとんど少しも変わっていない。」
瀬谷は片野の風貌を、
そして生き方を、
菊づくりに長けたその技能を、
羨んでいるのです。
瀬谷は若い頃、
苦学を重ねるのですが、
司法試験に失敗し続け身体を壊します。
そのため郷里に帰り、
代筆業を営み、
細々と生計を立てているのです。
成功こそしなかったものの、
堅実な生活を送っているのです。
妻子もあり、
裕福ではないものの
平和な家庭を築いています。
片野と同じように
人生において成功することは
なかったのですが、
片野と違って
重大な「失敗」はしていないのです。
瀬谷は片野の残した
見事な菊の厚物咲から何を思ったか?
そこに瀬谷と片野の
決定的な違いが現れています。
「最早自分の過去に不平は云うまい。」
都会で司法試験に合格できなかった
(それどころか試験で茫然自失となり
何も出来なかった)過去を、
ようやく受け止め、
決着をつけたのです。
「妻子に取り巻かれ
街の人々に信頼されている
現在の生活に感謝しよう。」
地道ながらも
自分の築き上げてきたものの大切さ、
かけがえのなさに、
気付くことができたのです。そして
「非情の片意地を培養土にして
厚物の菊を咲かせるより、
花は野菊の自然にまかして
孫たちのお守りをしながら
もっと人間らしい温かな生涯を
送った方がまし」であると
感じるのです。
さて、作家・中山義秀は
本作品で昭和13年に
第七回芥川賞を受賞しています。
調べてみると教職を続けながら
執筆活動に勤しむという
「瀬谷」的な生活の後、
子を失い、妻を失い、教職を辞し、
背水の陣で文学に賭けるという
「片野」的人生を送っています。
そう考えると本作品はまさに
「片野の創り上げた厚物咲の菊」に
ほかなりません。
そして中山の辿り着いた生き方が
産みだしたのが「片野」であり、
中山があるべき姿と感じていたのが
「瀬谷」だったのでしょう。
中山の生き方が如実に反映された
鬼気迫る逸品です。
ぜひご一読を。
(2021.2.28)