思考力と創造力で補完していかなくてはならない
「見知らぬ人」
(マンスフィールド/浅尾敦則訳)
(「百年文庫075 鏡」)ポプラ社
長い船旅から
妻ジェイニーが帰ってきた。
待ち焦がれていた夫ジョンは
大いに喜ぶ。
しかし彼女はどこかよそよそしい
雰囲気をまとっている。
二人きりで過ごしたいと
願うジョンは急いで
ホテルの部屋へと戻るが、
彼女の話を聞き…。
なぜ妻がよそよそしいのか?
夫の感じた疑問は、
そのまま読み手のそれでもあるのです。
なぜなら「説明」にあたる部分が
極力そぎ落とされ、
僅かに書かれてある事実から、
その周辺や背後にあるものを、
読み手が自分の思考力と創造力で
補完していかなくては
ならないからです。
妻は船が遅れた理由が、
船内で青年の客が亡くなったこと、
そしてその青年は自分の腕の中で
息を引き取ったことを話すのです。
ジョンは衝撃を受けます。
妻が青年と
どのような関係にあったのか、
まったく書かれていません。
特別な関係にあったのか、
たまたま居合わせただけなのか、
それとも何か事情があったのか。
しかし彼女は他の乗客全員から
愛されていたことが記されています。
そしてそれを打ち明けた後、
悪びれる様子も見られないことから、
男女の関係ではないことが
推察されます。
到着間際になって人間一人の死に、
もっとも間近で接したのです。
浮かれた気分になれないのは
むしろ当然です。
では、夫ジョンは、
なぜそのように衝撃を受けたのか?
それも一切説明はありません。
ここでジョンの人柄を考えてみます。
年齢その他は全く書かれていませんが、
妻の旅行は結婚したばかりの上の娘への
訪問であることを考えると、
40代後半から60ぐらいまででしょう。
船を待つ間の波止場では、
知人の幼い子どもの
遊び相手を務めているので、
かなり気さくな人柄であることが
窺えます。
残してきた子どもよりも
妻と二人きりで過ごすことを
最優先していることを考えると、
妻への愛情の深さも読み取れます。
しかし妻の話を聞いた後の
彼の反応についてだけは
次のような記載があります。
「彼はジェイニーに抱かれて
死んでいったのだ。
彼女は――
いまだかつて一度も――
この長い年月のあいだ
一度として――
正真正銘ただの一度だって――
あまりといえばあんまりだ!」
妻との間に
「ただの一度も」何がなかったのか?
ここでも肝心な部分が
伏せられたままなのです。
長年連れ添い、
何人かの子までもうけている。
今もホテルのスイートルームで
二人きりの夜を過ごそうとしている。
しかしそれでも、これまでの人生で
ただの一度もなかったものがある。
おそらくは
心のもっとも深いところでの一体感が
なかったということでしょうか。
それとももっと深い意味が
潜んでいるのでしょうか。
物語は夫の悲哀の重い嘆きとも言える
一文で幕を閉じます。
「二人の夜が台無しだ!
二人きりになれる時間はもう、
決して彼らに
戻ってはこないだろう。」
(2021.3.2)